唖然としながら、
携帯ショップで会ったボーイが、ビールを置き、
席を離れても、しばらく目で姿を追ってしまったけど、
そんな時間は、一瞬しかない。
お客は、すぐに話しかけてくるし、
やることは多い。
突き出したグラスに、ビールを注ぎ、愛想笑いとともに、初めてつくお客だから、探りの会話を始める。
「よくこの店には、来られるんですか?」
注ぎ終わったビールを、一気に飲み干したお客は、少し目を丸くしながら、
可憐に顔を近づけた。
「お前」
可憐は、思わず顔を背けたくなるのを、必死に抑えながら、笑顔を作った。
「はい?」
蛙の潰れたような顔で…よく言えば貫禄のある…ただの豚は、
可憐を舐め回すみたいに見、
「俺のこと知らないんだあ〜へえ〜」
可憐は、すいませんと頭を下げた。
こういう客はいる。
自分のことが、店で有名で…特別なお客様だと、思ってるやつが。
(うざい)
と心で呟きながらも、可憐は、愛想笑いを浮かべながら、接客を続けた。
「はあ〜」
普段よりも、時間がたつのが遅かった。
なんとか耐え抜き、お客を出口まで見送った可憐は、
トイレに行く為に、社員出入り口の扉を開けた。
年月を感じるくすんだ色の壁に、溜め息をついて、手をつき、可憐は少し…気を緩めた。
がさがさ…。
ビニールが、擦れる音がしたので、
奥の事務所に続く長い廊下の先を、可憐は見た。
ホールの氷がなくなったのだろう。
事務所に行く途中で、左に曲がると、厨房があった。
そこにある製氷機から、大量の氷をビニール袋にいれて、
先程のボーイが近づいてきた。
「あっ」
思わず声をだしたけど、可憐を無視するかのように、
ボーイは、可憐の横を通り過ぎていく。
何か言おうと思うけど、言葉出ない。
そんな自分がもどかしい。
扉を開けて、ホールにでようとしたボーイは、
足を止め、ほんの少しだけ振り返った。
そして、口を開いた。
「あんた…。この商売始めたばっかみたいだから…教えてやるよ」
右肩で、扉を開けながら、
「気をつけろよ。この店は、常連が多い」
「え?」
いきなりで、意味がわからない可憐は、 聞き返した。
ボーイは、可憐を無視するかのように、マイペースで言葉を続けた。
「ゲスト(飛び込み、新規)は、ほとんどいない。」
ボーイの横顔から覗く瞳が、まばゆいホールから、漏れる光に反射していた。
「つまり…お客の殆どは、気に入ったホステスがいる」
氷が溶けるから、長くは話せない。
「あの客は、サキの太い客だ。気をつけろ」
そう言うと、ホールに戻ろうとするボーイを、
可憐は、引き止めた。
「ありがとう…。だけど、あなたの名前は…」
ボーイは、それでも可憐を見ず、
口だけを動かした。
「英利(ひでとし)…だけど…」
扉を開き、
「エイリでいい」
ビニール袋を担ぎながら、煌びやかな店内に戻っていった。
「エイリ…」
それが、可憐とエイリの出会いだった。
「まあ…ゲストが、入らない店は…」
エイリは、ホール内のアイスボックスに、氷をいれながら、
(もう衰退していくって…ことだけどな)
エイリは、横目で店内を観察した。
ベテランや人気のホステスにつく太客。
確かにそれは、大切だが…年輩が多すぎる。
お客だって、何年ついても落ちないホステスに、いつまでも、金を貢ぐとは思えないし…
彼女と勘違いしたり、金を使うことで、自分の力を示しているじじいも…倒産したり、亡くなるかもしれない。
(少し…客層がおかしいか?)
年輩ばかりで、中間の少し若い20代後半から30代前半のお客がいない。
何人かいるが…ホステスを落とすのに躍起になっている男だけだ。
(これは…)
エイリは人に見られないように、にやりと、笑った。
(どこか近くに…いい店ができたか…)
この業界に安定などない。
お客は店につくより、女につく。いい店に、いい女がいれば、そこに移る。
ある意味、店や女に情を持って通うお客は、駄目だろう。
(所詮…訳ありが多い)
女は理由がある。
テレビドラマみたいな世界はない。
(所詮…男と女。ドラマじゃない)
エイリはホールを見回しながら、ほくそ笑んだ。
どんなに一流企業の社長だって、女を口説く時は、下衆になる。
体を寄せる女だって…。
エイリは嫌悪感を覚えながらも、これがこの世の摂理ならば、
(人は容易い)
エイリはちらっと、奥の社長室に続く通路のドアを見た。
(あいつは分かっている)
ホステスが、ビールのおかわりを告げていた。
エイリは走りながら、
(分かっていても、この程度なら)
ビールを冷蔵庫から出し、
(いっしょだ)
ボックス席に運ぶ。
エイリはまだ高校生だ。
年齢を偽り、店で働いていた。
社会に出る前に、世間の醜さ、男と女の醜さを見ておきたかった。
(くだらない)
今のところ、これがエイリの感想だった。
工藤英利。
高校二年生。
ただ呼ばれたら、席に行き、お酒を入れ…時間が立つまで話し、指名されなかったら、次の席へ。
指名されたら、そこにいる。
単純に、それだけと思っていた可憐は、甘かった。
ただ遊びの金をつくる目的で働いてる子は、結構気さくだけど…
子持ちのバツイチや、生活の為必死に働いている女達に、そんな余裕はなく、
さらに、自尊心の強い女はさらに、厄介だった。
「可憐!」
終電前までの為、店を出て駅へと向かう可憐を、誰かが呼び止めた。
振り返った可憐は、見たことのない顔に首を捻った。
(誰だっけ…)
そんな可憐の様子に気づかずに、走りよってきた女は、息を切らしながら、
「今日、店暇だがら、上がらされたよ」
可憐は、その女の顔をまじまじと観察して…呟いた。
「理沙?」
「何言ってんのよ。決まってるじゃん」
理沙は、可憐の背中を叩いた。
「メイク落としたんだ…」
「当たり前でしょ。地元帰るだから!あたしとバレないようにしないと!メイクとっただけじゃ…駄目かな?」
鏡で、顔を確認しょうとする理沙に、
「絶対バレないから…」
可憐は小声で、囁くように言った。
「なんか言った?」
「いえ…何も」
可憐は、顔を逸らした。
(化粧で変わるっても、限度がある)
最近改めて思うけど、化粧で変わらないって思ってるやつ程、変わる。
(だから…面白いんだけども…)
もともと目鼻立ちがはっきりしている可憐には、あまり濃い化粧は似合わない。
香水も、かける気がしなかった。
ホステスにいる女女している人は、苦手だった。
「まったくよお!今日の客、まじムカつくぜ!」
隣で、理沙の愚痴が始まった。
「席着いたら、いきなり説教だぜ!一回メールかえすのを遅れただけで!」
どこの世界でも、彼氏気取りはいる。
「言いたいだけ言った後に!最後の台詞が、お前は俺が、どんなに大切に思ってるか!わかってるのか!」
理沙は、思い切り嫌な顔をし、
「てさ……馬鹿じゃない!」
「そうね…」
可憐は、頷いた。
ホステスは商品であるけど、人間だ。金で指名されているから、よっぽどのことがないと断れない。
それなのに、男は偉そうにするか…彼氏のように振る舞うか…。
お金で買ってる関係なのに、それがわからない。
男と女……どちらも人間だから、お金を払っても、貰っても…商売だと、すべてが割り切れない。
可憐は、まだそこまで…お客と複雑な関係にはなっていない。
けど、更衣室で泣いてる若いホステスを、よく見る。可憐と同期ぐらいか少し在籍が長い子が、多い。
不細工。ブス。
普段なら、面と向かっていわれない言葉も、店内では目の前で言われる。
それは、悪口ではない。
商品に関する感想であり、店側へのクレームだ。
こんな女で、金を取るのか。
激しく傷つけられる自尊心。
泣いてるホステスを、冷たい目で、ちらっと見ると、サキは着替えを済まし、更衣室を出ていく。
サキの取り巻きの一人である奈々が、一言だけ…何とか聞こえるくらいの声を発した。
「だったら、来るなよ。そんな顔で」
(すさんでるなあ〜)
可憐は、さっさと着替えを済まし、更衣室を出た。
理沙の愚痴は、まだまだ続いていたけど、
可憐は、もう聞いていなかった。
(だって…同じことの繰り返しだもんなあ〜)
ちょっとうんざりしていると、
更に、うんざりするようなやつが来た。
「ねえ〜彼女達!」
最初は、ホストのキャッチかと思ったけど…。
「はあ〜?」
理沙の反応で、違うとわかった。
一応ホストなら、行くことはないが、ちょっとは愛想よい反応をする。
理沙がうっとおしそうにするときは、あまりにも不細工過ぎるホストか……スカウトだ。
「いい仕事あるんだけど?全額日払いもOKだよ」
キャバクラやお水のスカウトであまり、かっこいい人に合わない。
「うざえんだよ!」
理沙が言ったが、スカウトは理沙に向いてなかった。
「別に、隣に座って、お酒を作るだけでいいから」
スカウトは、理沙に背を向けて、可憐にだけ話し掛けていた。
「君だったら、すぐにNo.1になれるからさ」
無理やり、ねじ込むように渡された名刺。
「気が向いたら、連絡してね」
スカウトは、あっさりと可憐から離れた。
「何よ!あいつ!」
理沙は去っていくスカウトに向けて、唾を吐くと、
可憐の手の中にある名刺を覗き込んだ。
「T.L.C…TENDER LOVING CARE」
理沙は少し考え込むと、思い出した。
「確か…2.3日前にできたばかりの店だな…。まだ噂とはきかないけど…」
「「T.L.C…」
可憐は、名刺を見て、呟いた。
「そう言えば…アラーキが今日いくって、言ってたから、どうだったか、きいてみよ」
アラーキとは、理沙の常連客だ。
可憐は、名刺を握り締めると、道にあったゴミ箱に捨てた。
この店が、いずれ…華憐を脅かす存在になるとは、可憐には、思いもよらなかった。
「支配人…。T.L.Cに関してですが……」
華憐の奧にある社長室で、質素なディスクの向こうで、椅子に腰かける男に、店長である松浦が、報告を述べていた。
男は、無言で松浦を見つめていた。
「T.L.Cの経営者は、柳川です」
「柳川…」
オーナーは、呟いた。
「はい」
松浦は頷いた。
柳川哲郎。かつて、ヘイトだった頃の営業部長をしていた男だ。
坂出実業に引き抜かれ、ヘイトをやめた男。
「柳川は、ヘイトをやめるとき、ホステスを数人引き抜きました。今回も、それを狙っているのではありませんか?店の近くで、やつの店のスカウトに、声をかけられたものは、大勢います」
オーナーは、少し考え込む。
「やつは、華憐からもホステスを引き抜くつもりです!」
松浦の言葉に、オーナーは、顔を上げ、
「では…どうすればいいと?」
「はい!まずは、スカウトに注意を!誘惑にかられそうなホステスにも、話し込みを…」
松浦の話の途中で、オーナーは言葉を挟んだ。
「スカウトに注意は構わないが……ホステスに注意はどうだろう?彼女達は、店についてるわけではない。いい条件なら、向こうにいくだろう。まずは、向こうが出している条件が、知りたい」
「やつらが提示する条件など、うそに決まってます!」
松浦が吠えた。
「オーナーもわかっているはずです!」
激しい怒声が、社長室内に、響き渡った。
「前回、柳川に引き抜かれた女達のほとんどが、給料の未払いや、ペナルティの厳しさなど…条件が違うと、最終的には、うちに泣き付いてきた!」
松浦の言葉に、オーナーは腕を組んだ。
「そいつらを、また雇用したが!結局みんなやめていきましたよ!」
「仕方がないことだ……」
オーナーは、ため息をつき、
「少しでも条件がよければ…彼女達は、そこに行く。誰だって、この商売をずっと続けようとは、思っていない。できれば、抜け出したいと…」
「オーナーは、甘すぎます!」
興奮して、ディスクを叩く松浦に、オーナーは軽く溜め息をつき、
「この店は、できるだけ…彼女達に、気持ち良く働いて貰う空間でありたい。男と女という…人間関係を商売にしているのだから…」
オーナーの言葉に、松浦は納得しながらも、納得できない。
なぜなら、一番損をしているのは、華憐であり、オーナーだからだ。
松浦は、反論をやめた。
自分もまた…そんな華憐を愛しているのだ。だからこそ、簡単に割り切るホステス達が、許せないのだ。
「………今は時代が変わり…キャバクラていう名で、一部アイドルのように持ち上げているメディアもありますが…….私達は、水商売です…。何も生み出してはいない。だからこそ…人の繋がりだけが、頼りなのです」
「松浦……」
松浦は、泣いていた。
「私は、それを裏切る……やつらが…。お客は、裏切るでしょう…だけど、一緒に働く仲間だけは、裏切ってはいけなんです」
「松浦……」
オーナーは椅子から立ち上がり、松浦の肩を叩いた。
「仕方がない……。皆、生きることにせいいっぱいなんだ。働いてくれた…それ以上を望んではいけない…」
松浦の気持ちは、痛いほどよくわかった。ホステスも、悪くはない。
(柳川か……)
あとは、店同士の問題である。そう個人というよりは、華憐とT.L.Cの問題だ。