私を真剣に見つめるオリ。
その眼差しはどこか不安そうで、でも小さく微笑んで言葉を続ける。
「アタシには何も出来ないかもしれないけれど、貴方達に力を貸すことは出来るんだから頼りなさいな」
そう言って私の頭を数回撫でてベッドへと横になり手招きする。
「今日はもう寝ましょう?
また明日から頑張れば良いのよ」
その言葉を最後に疲れていたのか私は直ぐに夢の世界へと誘われた。
久しぶりに何の夢も見ずに安眠できたと思う。
魘されることも、悪夢や予知夢を見る事もなく
熟睡したんだろう。
次の夜…って言うか、次の日なのかも分からない此処は何て言えば良いのか分からないけど喉が渇いて目を覚ました。
そこにオリの姿はなくて、パーカーも無くなっているのを見ると何処かへ出かけたんだろうと思う。
そう言えば寝る前にここにあるものは勝手に好きなように使っていいわ、なんて言われてたっけ…?
寝ぼけた目を擦りながら私はコップに水を注いで一気に飲み干す。
「…皆は、大丈夫かな」
ふと、窓に近寄って月を眺めながら呟いた。
夜しか来ないこの国は月だけが綺麗な気がする。
今日は満月の夜。
明日は?
そもそも、私達に明日なんて来るか分からないんだ。
ベルガ達がいつ襲ってきてもおかしくないし
いつ、命を落としてもおかしくない。
そんな危険な国で私はどうして生きているんだろう。
本当はもっと、安全な国で生きてたはずなのに。
「…元の世界に帰りたい…」
自然と口から零れた言葉に私は目を見開く。
元の世界?
あれ、私なんで…そんなこと…
目を閉じて思い浮かべるのは家族のことや親友のカナちゃんの事やシンくんの事で。
ああ、私の記憶が戻ったんだ、って直感的に思ったけど自然と怖くも何も無かった。
私はこの世界の人じゃなくて、この世界よりも…ずっと遠いところから来てしまったんだ、と。
ここが未来なのか過去なのか…それとも…もう一つの並行世界なのか。
もし、パラレルワールドが存在するなら元の世界の私はどうなってるの?
私が居なくなってどれぐらい経つ?
みんな、心配してるのかな…。
夜になると人は不安になることが多いって何かで見たけど確かにその通りだと思う。
シキもルイもユエも居ない、オリさえも居ない今、私の心はどんどんネガティブになっている。
…私がこんな弱くちゃダメなのに。
元の世界に帰りたい、帰りたいけどここの世界で皆と居たい。
そんな矛盾が私の中を駆け巡る。
「何を考えてるの?」
不意に声が聞こえた。
「オリ…」
「そんな不安そうな顔して。どうしたのよ?
貴方には笑顔が似合うわよ」
ほら、笑いなさい。とオリが私に近寄って頬を指差す。
ロイが死んでから私って笑った事あったかな…笑ってもいいのかな。
ロイ…私がこの世界に来たから殺されてしまった。
もう一度、会いたい。
会って謝りたいのに…それすらも叶わないなんて…。
「…教えてあげるわ、ユイ」
窓を開けて身を乗り出し月を眺めるオリを私も横目でチラリと見る。
それはどこか懐かしそうな横顔で。
私はオリの言葉の続きを待っているしかできなかった。
「アタシはこの宮殿に長い間居るんだけれど…貴方のお友達の過去も知っているのよ。
ルイ、だったかしら?
あの人の父親はこの国の王、レイだったわね。
そして、娘…ルイの妹に当たるミイ
その三人でこの国を守っていたわ。」
「ルイ」と言う単語が聞こえて私の肩は小さく跳ねた。
だって、まさかオリの口からルイの名前が出るなんて思っても見なかったから。
「王女である母親は彼等が幼い頃に病死したらしくて、それ以来 父親の態度が豹変してしまったのよ。
荒くなり、国民の事さえも考えなくなってね。
色々な不満の声も聞いて聞かぬ振りをしていたわ。」
まさか。
私は自分の耳を疑った。
王様がそんなことをしていたなんて…。
でも、私が会ったときはそんな雰囲気しなかった。
ただルイを心から嫌っているという風にしか見えなかったな…。
「そんな父親を変えたのがルイ自身だったわ。
若くしてこの国の不安の声も何もかも変えてしまったのよ。
それを見た父親が自分が悪かったと民の前で頭を下げた。
そこから変わったのよ、この国は。
あの忌々しい事件が起こる前まではね。」
月を見つめていたオリが悔しそうに唇を噛んだ。
忌々しい事件って、なんだろう…?
オリが悔しくなるほど悲惨だったの?
でも、どうしてそれをオリが知ってるんだろう…
私は疑問だったけど特に問う訳でもなく黙って聞いていた。
話し終わったら、聞いてみよう。
「宮殿の地下にいる精霊はその事件にも遭遇しているわ。
彼らを助けようと力を使ったけれど助け切れなかったみたいね」
自嘲的に笑うオリを見て一瞬、オリが精霊?
なんて思ったけどそれはない。
ちゃんとした人間だし…と言うことはオリは精霊を見たことがあるんだ。
その、宮殿の地下に住まわる精霊を。
そして、その事件の時にもオリは居たんだ。
私はそう思った。
「今から三年も前の話よ。
三年前にこの宮殿に隣町のお姫様が来客として招かれたわ。
そのお姫様を護る女騎士が…ミイを殺したのよ。」
私にはあまりにも衝撃なことだった。
隣町…女騎士…殺す…そんな言葉が私の頭の中で ぐるぐると廻る。
「王様が気に入らなかっただけなんですって、そのお姫様は。
それで王であるレイに女騎士は刃を向けたのよ。
その時は丁度…ほかの騎士は城下町での乱闘に手を焼いていたわ。
その上に、騎士の数すらも圧倒的に少なかったのが原因だった。
王様の側近なんて、ほぼ居なかったに等しいほどにはね」
「それで父親を守ろうとしたルイが彼女に負けてしまった。
彼は防御魔法に優れていたけれど…相手の攻撃の方が遥かに上回っていた。
それでルイが殺されそうになったのを妹のミイが庇ったのよ。
彼女は次期王女になる予定だったわ。
…それに、彼女は魔法なんて使えなかった…ただのか弱い女子だったのよ」
唇を噛み締め、拳を握って手を震わせるオリに私は黙って手を重ねた。
もう、聞いていられない…
もう、ルイの過去も分かった。
どこか冷めたルイは、その出来事で心を閉ざしてしまったんだ。
「嫁を病気で亡くし、娘さえも他国の女騎士に殺され、王様は遂に怒り狂ったのよ。
その時は彼女達は逃亡して残されたのはルイとレイと
話を聞きつけて戻って騎士数人だけだった。
娘を殺したのはお前だと、ルイに言い放ってこの国から追い出したのよ。
追い出したというか、ルイは自分から出ていったわね」
ああ…そうだったんだ。
ルイの過去にもユエの過去にも大切な人が殺されるという、立ち直れないほどの壁があったんだと。
何も知らない私が軽い気持ちで過去を、皆を知りたいと思ってしまったんだ。
…軽い気持ちなんかじゃないけど、きっと皆にはそう思われているに違いない。
私は部外者なんだから。
この国の者でも、何でもない。
「…オリ…話してくれて、ありがとう
やっぱりルイは妹さんを殺してなんかいなかったんだね。
これで、私は王様に勝てる気がする」
「…貴方って無謀ね。
アタシの話を信じるなんて」
「オリは嘘なんか言わないでしょう?
それは何となく分かってるから…私はオリを信じるよ」
「ほんと…馬鹿ね」
そう言って私から顔を背けてしまった。
顔を覗き込もうとしたけど、オリの肩が僅かに震えているのを見て
泣いてるんだ、と思った私は近寄ることも無くその背中を見てから再び月に目を向けた。
私は何も見てないから…泣きたい時は、泣いていいよ、と
聞こえもしない言葉をオリに向けて心の中でつぶやいて。
…ルイ、私は貴方も助けたい。
お父様と仲良くもして欲しいの。
二人はすれ違ってしまっただけなんだよ…ただ、一言ごめんって言えれば何かが変わったかもしれない。
でも一番は…関係の無い人を巻き込んだ隣町の姫様と女騎士が悪いんだ。
その人達が来なければ、ミイさんも死ななかったし三人で上手くやっていけたかもしれないのに。
赤の他人が家族との間に亀裂を作ってしまったんだ。
その亀裂を完璧に修復する事は私には出来ないけど…修復する手伝いなら、私にだって出来るはず。
…ルイに助けてもらってばかりの私が唯一返せる、方法なんだ。
だから私は死ぬわけには行かない。
まだシキのことも…知らないんだから。
でも、例えオリからルイ達の過去を聞いたところで王様は信じてくれるだろうか?
証拠なんて何処にもない。
オリの話が嘘だと言われればそれまで。
証拠も何も無いんじゃ…私に勝ち目はない。
的確な何かがないと…ダメなんだ。
何かって、何?
何を見せれば、何を言えば信じてもらえる?
私に出来ること…そんなの、アレしか無いじゃない。
私に残された時間なんて後一日しかないんだもの。
やれる事をやるしかない。
それが私に出来ることなんだ。
「ユイ、アタシは今から出掛けるけれど恐らく明日も戻ってこれないわ
ここから先は一人だけれど、大丈夫よねユイなら」
「…うん、頑張るよ。ありがとうオリ」
「ええ、構わないわ。またね」
手をヒラヒラと振って部屋を後にするオリを見送ってから私は一人で考えた。
少しの間なら、使ってもいいと言ってくれたオリには感謝しないと。
私の為に凄く優しくしてくれた。
見ず知らずの私に。
「ありがとう…オリ」
私しか居ない部屋に小さく呟いたその言葉は闇の中に静かに消えていった。
朝が来ないんじゃ時間なんて分からないけど…後一日しかないんだ。
明日には王様に伝えなきゃならない。
根拠も証拠も事実も何も、ない。
それでもやってやるんだ。
私にしか出来ないことを。
「少し外に出ようかな…」
私は来た時と同じように人目に着かない抜け道のような所を通って宮殿の外に出た。
騎士ではない国の人がちらほら歩いているのを見かけたから多分今は…普通なら夕方ぐらいなのかな…?
そう考えたら随分と寝てしまったし長話をしてたみたい。
再び城下町へと行くとそこには沢山の人が行き交っている。
やっぱりここは人が多い。
「あの子って…」
「そうよね、あの子は…」
私を見てコソコソと何かを話す人。
私をまじまじと見ながら横を通り抜ける人。
…なんだか凄く見られてる?
どうしてだろう、私は普通なんだけどな…。
行き交う人皆が私を見て驚いた顔をしたり拝むように軽く頭を下げる人も沢山いた。
首を傾げながらも私は適当に歩いていると、後ろから急に勢い良く腕を引かれ、暗い路地に引きずり込まれる。
「…っ、な、なに…!?離してよ…っ!!」
怖くなって叫んで手をブンブンと大きく振ったけど相手は男なのか、びくともしなかった。
怖い。
怖いよ。
振り向いてしまえば終わりだと。
今、ここで死ぬわけにはいかないと。
でも…怖いものは怖い。
私の体は恐怖から震えていた。
しかし、そんな私を他所に
頭上から聞こえてきた声は
焦りと怒りを含んでいた。
「っこの、カメ女!!」