裕太の焦りと同様に、香苗の様子も変わっていく。

「う、うう、嘘よ……こんな悪態をつくようなヤツが私の憧れだなんて……」

目頭を熱くさせ、取り巻きに慰められる。
信頼も厚く、流石強豪、と捉えた裕太だが気になるのはその後ろで表情を崩さない「千秋」だった。

一つ年下の彼女に、見透かされている気分になるのと同時に、初めて見たような気もしなかった。

遠い夏の日の思いで、のような遠い記憶なかで会ったことがあるような……。

香苗がおいおい涙を流し失望している。
裕太は失礼な奴だと、少し憤慨を残したまま、筋トレに戻った。

結局のところは、裕太の伝説がバレて首を絞められ、それでお開き。

そして、部内からは驚きと称賛の声が上がり、盛のない部員から少しだけ花が咲いたように思えた。


今日もまた、豪雨。
過去の栄光が知られて、一週間。

裕太は今までと変わらず平凡な日常を繰り返していた。
あれから体育館は使えなくなり、香苗の仕業だと安易に予想のついた裕太。
それでも安心したくらい、千秋という得体の知れない存在に恐怖していた。

遠い記憶は「そうだった」のような憶測なのかもしれない。そう思うと、千秋の存在を言及する気も失せてしまった。

古文の授業中に窓に叩きつける雨粒。
湿気も連れて、中へ入ろうとバチバチと音をたてては滴り落ちていく……。
なんとも儚く、脆い……なんてしょうもない事を考えていると、裕太は自分のおかれている状況を把握していなかった。

「この古文、訳せるから人の話を聞いてないのよね? そうなのね?」

この黒い笑みを見せる教師に、凍てつく空気。
この人物に皆が恐怖している証拠であった。そして、裕太も厄介者だとしている……。
「むーちゃん」
またしても失態を重ねる。
天気の悪い日は気分をも下げ、厄介者のむーちゃんこと、村本はるかにまで相手をしない裕太。
「……垣本……」 
村本はるかの沸点の低さを侮るなかれと言わんばかりに、既にこめかみあたりに青筋を見せる。
冷酷な笑み、淡々となる口調、そして異様な落ち着き。これらが全て揃うとき。

「お前、これから寝る暇なんて与えねぇ」
女であることを疑う口の悪さは、元ヤンのせいだと噂されるくらい盛大に散らす。
妄言に似て、当たり障りのない事までいい、一つの虐待に値するのかもしれない。
心理的虐待。
だが、村本はるかが今も教師でいられるのは、生まれ持った美貌とたまに見せる厚顔無恥の態度。これに男はまんまとはめられ、扱きを受けているのだ。
飴と鞭を巧みに与える、ある意味この校内で一番を誇る「イイ先生」。
丁重に発せられた言葉のなかに、元ヤンだと、今度こそ心のなかで悪態をつき、それから「すみません」と一言、詫びをいれるのだった。

裕太は今、夕刻を知らせる烏を耳にしながら、教室内でなぜか筋トレをさせられている。
あの日以来体育館が使えなくなり、雨もやまない日々に顧問は頭を唸らせながらも、梅雨の時期はオフということになった。だからだろう。体力、筋力共に一週間ともなれば激しく低下していた。
そして、なぜ、筋トレをするように指示したのが村本はるかなのか。裕太は文学的な罰をやらされるとばかり思っていた。

机と椅子を重ねて隅へ寄せ、中心部だけ穴を開けた。そこへ、村本はるかは教卓に立って、裕太を監視している。表情の読み取りづらい顔をして、先刻の青筋が残っていない。
「腕立てを指たてにして50」
唐突な難題に、逆に闘志を燃やす。「無理しなくてもいい」なんて裕太には挑発されているようにしか思えなかった。
(やってやるよ! 無理だと思った方が負けだ!)
村本はるかは、指で体を支えてしっかりと下までさげる裕太の腕立て伏せを懐かしむような目で見ていた。
無理だと言われると、むきになって闘志を燃やしてがむしゃらに励む姿……。
その姿はまるで自分の亡き息子と、とても酷似していた。だからなのか、授業中の息子はこんな感じだったのか、などと偶像を作り上げてしまう。
ノルマ達成まであと、半分。
裕太は疲れの色を隠しきれなくなっていた。暑くなることを想定して予め制服を上半身脱いでいた体は、窓ガラスから差し込む夕陽で光を放ち水滴を落としていく。

あと、10回で……のところで、集中を途切れさせるような響き渡る甲高い声。それと共にドアが開く。裕太は気力だけで指立てしていただけに、一瞬で脱力してしまった。
ドタッと床に倒れ込み、荒く息をする。
「監督! 垣本裕太の素性を……」
「……」
「……」
「……」
甲高い声を出す女は自分の失態に気付き、そして、暫く3人は沈黙を破ることができなかった。

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