耳の中でこだまして聞こえる甲高い声に苛立ちを隠せない。
どうやったら、普段出さないような高音を出すのだろう。
梅雨の時期になり、筋トレメインの練習をこなす垣本裕太。
グラウンドは叩きつける豪雨で散々である。
水溜まりができれば土で補修するのだが、梅雨の時期はその作業が毎日のように繰り返される。
少しでも雨が止めば練習したがる顧問のやる気が、裕太には皆目検討もつかないのだった。
他の部員だってそうだ。
こんな弱小チーム、と常々思っている。
それ故、野球部は顧問とのモチベーションの違いが激しく、だから、「どうせ」と言う逃げ道の言葉しか脳を支配しなかった。
甲高い声に劣る野球部の掛け声。
どちらかと言うと、甲高い声にうんざりしているから劣っているのだと、説明した方が良いほど、体育館での筋トレに支障をきたすものだった。
野球部はコート半面を使い、もう一半面には仕切り網越しに劣らせるだけの高音を出すバレー部。
そして、裕太はその鬱陶しい声に思わず、
「ヘドが出る」
悪態をついてしまった。
そして、裕太の目の前に立ちはだかる筋肉質な女の群れ。
不運にも野球部、バレー部共に顧問がいなかった。そのため、裕太の周りには侮辱されて腹をたたせたバレー部が怒り奮闘させていた。
輪になって筋トレしていたはずのメンバーが、なぜか隅っこに移動する様が堪らなく悔しい。
裕太は逞しかった。体つきから、何もかも。
だから、女ごときに対抗する気さえ起きなかった。
しかし、バレー部の怒りはあるわけで。
「へどってなによ」
これが、これから始まる野球部とバレー部の泥沼化する試合の幕開けだった。
「大体何で呟いたような声しか出してないのに、声張り上げてたお前らに聞こえるんだよ! もしかして地獄耳か? それは可哀想なことで」
「違うわ! たまたま野球部の近くにいた早紀が教えてくれたのよ! 弱小の癖に偉そうに! 何ならグラウンド使えなくしてやろうか」
裕太と互角に言い合うキャプテンの香苗は、気が強くバレー部を強豪にしたのも彼女だった。
一年で急成長を遂げ、香苗が2年へ上がる頃には練習試合の申請が殺到するほどだ。
その香苗の練習着の裾をちょこんと掴む小さな彼女が口を開いた。
「……香苗先輩……へどが出たら、私たちが処理するのではないですし、それに裕太先輩は以前有望視されてた、あの、裕太先輩ですよ?」
「え、そんなわけ……千秋、アタシがどれほど裕太サンに憧れてるのか知ってて言ってるわよね?」
「……はい、間違いないです。ここへ入学して人目見て確信しました!」
裕太の存在を持ち上げる彼女、「千秋」。
バレー部の中では最小の身長であろう。そして、唯一の朗らかで花が綻びるような可愛らしさをもつ千秋。
裕太は千秋を人懐こい、と思って裾を掴む手を見ていると、野球部バレー部共に奇声を発し、完全に一歩足を引いていた。
「ええ?! まさかの裕太サン!?」
これが一歩引かれた根源である。
垣本裕太には伝説があった。
少年野球時代、その当事ストレート球を100㎞で投げ、その上四番打者をキープし続けMVP まで成し遂げた。
そのうらには過酷が付き物で……。
身体中を酷使し、小柄な体を蝕み続ける。
それでも、結果がついてきたから面白くて酷使するのも辞められなかった。
中学に上がり、試合の度に新聞に載ることは日常茶飯時になり、その名をとどろかせた。「最年少」と言う言葉も飾られて。
しかし、ツケは回ってくる。
酷使した体がついに悲鳴をあげた。
それを機に、裕太の輝かしい栄光は、お蔵入りとなったのだ。
野球好きにはショックな出来事だった。
受験生だしと、ついでに野球も辞めた裕太。それから勉強に身が乗るわけでもなく、今までの頑張りを無下にする行動ばかりして弾けた。
その挙げ句、行けるところにしか行けなかったようなここの高校へと受験することになったのだ。
裕太自身、勝手に持ち上げられた伝説とやらを投げ捨て、一個人の人間としてこの高校へと入学したはずだった。
誰にも過去の栄光など気付かれず、野球をエンジョイしてきた。
それが、入学して二ヶ月とたたない千秋という女の子に晒された裕太。
香苗の後ろに隠れていたと思えば、顔を綻ばせて「見つけてました」と全てを悟った表情をしてくる。
それが裕太には迷惑でしかなく、ため息をひとつ、それから
「俺は垣本でなく、岩本だ」
そして、皆は失笑する。
胸元に「垣本」と名前がついていることに気付かないほどの焦りが目に見えて。
裕太の焦りと同様に、香苗の様子も変わっていく。
「う、うう、嘘よ……こんな悪態をつくようなヤツが私の憧れだなんて……」
目頭を熱くさせ、取り巻きに慰められる。
信頼も厚く、流石強豪、と捉えた裕太だが気になるのはその後ろで表情を崩さない「千秋」だった。
一つ年下の彼女に、見透かされている気分になるのと同時に、初めて見たような気もしなかった。
遠い夏の日の思いで、のような遠い記憶なかで会ったことがあるような……。
香苗がおいおい涙を流し失望している。
裕太は失礼な奴だと、少し憤慨を残したまま、筋トレに戻った。
結局のところは、裕太の伝説がバレて首を絞められ、それでお開き。
そして、部内からは驚きと称賛の声が上がり、盛のない部員から少しだけ花が咲いたように思えた。
今日もまた、豪雨。
過去の栄光が知られて、一週間。
裕太は今までと変わらず平凡な日常を繰り返していた。
あれから体育館は使えなくなり、香苗の仕業だと安易に予想のついた裕太。
それでも安心したくらい、千秋という得体の知れない存在に恐怖していた。
遠い記憶は「そうだった」のような憶測なのかもしれない。そう思うと、千秋の存在を言及する気も失せてしまった。
古文の授業中に窓に叩きつける雨粒。
湿気も連れて、中へ入ろうとバチバチと音をたてては滴り落ちていく……。
なんとも儚く、脆い……なんてしょうもない事を考えていると、裕太は自分のおかれている状況を把握していなかった。