華の金曜日とあって道路は混んでいた。
ひときわ目立つ黒のチェロー車を運転する三上は、その渋滞にイラついていた。
ハンドルを握る指は車中に流れるロックのリズムに乗って上下に動いている。
時折、ルームミラー越しに後部座席を見た。

ミラーに映し出されたのは、最新のアイホンで楽しげに話す北川(きたがわ)美(み)雨(う)の顔だった。明るい栗色の髪は柔らかくウエーブがかっている。横分けの前髪は長めで、二重の黒目がちな切れ長の瞳を、少しだけ見えにくくしていた。それがいっそう魅力を引き立てている。たとえミラー越しだろうと、その瞳と合えば男である三上でさえもドキッとして胸が高まった。筋の通った鼻も形のいい唇も、シャープな顎のラインも、すべてがパーフェクトな作品だなと、ため息が出る。透き通る肌の左目の下にあるホクロでさえも愛おしく思えた。同じ男なのにどうしてこうも顔の作りが違うものなのかと三上はミラー越しの美雨に見惚れていた。出来るなら、自分のこの平凡な作りの顔を1日でいい、美雨の美しい顔に交換したいものだと常日頃に思っていた。俺が女ならやっぱり美雨に恋をしているだろうと、ミラー越しの美雨と瞳が合って微笑んだ。

美雨は、白のTシャツに上質な紺のウールのカーデガンを肩に羽織っていた。
脚の細さを強調するようなジーンズはところどころに穴が開いている。
組んだ脚はスニカーを脱いだ素足を、ぷらぷらと揺すっていた。

「じゃぁ後で….」

美雨は携帯を切ると濃いスモークに覆われた車窓から外を見た。

大きなショーウインドーの前で男女がぶつかった姿に瞳を向けた。
その様子をじっと見ている。

「男が悪いのに……」と美雨はつぶやいた。

「はい?」三上は自分に声を掛けられたのかと聞き返えした。
「あ、ひとりごとだから」と美雨は視線を三上に向ける。

渋滞の道路、美雨は持て余す視線を隣の席に移した。
無造作に置かれている雑誌に瞳が行った。

「週刊 エロスの世界….」

艶めかしい女性が写っている表紙を何気なくぺらぺらとめくると、男女が絡む挿絵と、クッチャとか、ピチャっという擬音の文章が眼に飛び込んできた。

「なんだ、ただのエロ雑誌か」

三上は、耳がいいらしい。美雨の小声も逃さなかった。

「あ、それ? ただのエロ雑誌とはちがいます」

「どう見ても文章がエロでしょ」

「何をおっしゃいますの。最近の人気な雑誌なのよ。それ」

「ただの文章版エロじゃん」

「馬鹿言っちゃいけません。この本を読むにあたってはエロだって立派な芸術なんですから」

「これで、ぬくわけでしょ?」

「まあ~きれいなお顔して、えげつない事を言いますなぁ。その雑誌は、女性にも人気あるんです。その中にはね、俺の大好きな作家さんがいて、その作家さんって言うのが月ノ…うわっちょちょちょ~!!!!!!」

走り出した車がいきなり急ブレーキで止まった。
美雨の躰も大きく前後に揺れた。

「美雨!大丈夫か?怪我は?痛い所はないか?」

三上は、焦っているのかシートベルトを外すのに手間取っていた。

「大丈夫…..いきなりでびっくりしただけ」

美雨のその言葉を聞く前に三上は車から勢いよく飛び出して行った。

美雨は、何が起きたのかとフロントガラス越しに様子を伺っている。
しかし、三上の姿しか見えなかった。

外で、三上は、呆然と立っている満月の声をかけた。

「おい、お姉ちゃんよ。大丈夫か?いきなり飛び出してきちゃ危ないでしょぉ。轢くところだったぞ!」

口調はきついが三上は落ちたA4の茶封筒を拾い彼女の様子を見ながら渡した。
その声で我に返った満月は、三上を見た。

「ごめんなさい。びっくりして物を落としただけですから」

「なら良かった。こっちはね、とても大切な人を乗せているわけよ。気を付けてくれないと大変なことになっちゃうんだから」

「はい、ほんとすいませんでした」と満月は頭を下げた。

「気を付けて歩きなよ」

偉そうな態度で三上は、満月の肩に手を乗せた。

美雨は、車内でその様子を見ている。

その後、三上は、後続車に両手で【ちょっと待って】とサインを送ると、運転席に戻らずに、後部座席のドアを開けて美雨の体を心配した。

「急に人がでて来てさぁ。相手の娘も大丈夫だったみたいだから。美雨、本当に大丈夫か?病院に行って診てもらうか?何かあったら大変だから」

「本当に大丈夫だから。ほら、早く運転席に戻って。後ろが渋滞している」

「そうか?わかった」

三上は、後ろに連なる車に頭を下げると、そそくさと運転席に戻った。

車が走り出す。車窓から見えたA4の茶封筒を抱えた満月は、また丁寧に頭を下げて、車を見送った。

「さっきの娘!? どんだけとろい娘なんだろう…..」

そして、美雨の視線は、通り過ぎていく満月をまだ見ていた。