オレ様専務を24時間 護衛する Ⅱ



どうしたのかしら………?


涙腺が緩むのを必死に堪えているのか、京夜様は大きく深呼吸した。

そして、ゆっくりと腕の拘束が解かれると、揺れる瞳に私が映る。


「もう俺を守ろうとするな、………いいな?」


ちょっと低めの声音と共に射竦められては、心臓が反応せずにはいられない。

でも、即座に『はい』とは言えない。

だって、何度同じ状況になったとしても、やはり同じ選択をすると思うから。


無意識に泳ぐ視線。

彼の視線から逃れるように……。


「希和」


いつもなら凄みを利かせた低めの声で威嚇する彼なのに、何故か今日はいつもと違う。

声を震わせ、切実さが滲んでいる。

私は白旗を上げ、顔を持ち上げた。


髪に優しく触れる指先。

愛おしそうに見つめる瞳。

安堵の溜息を零す薄い唇。


そのどれもが私の胸を熱く焦がす。

心配させたい訳じゃない。

彼の重荷になるつもりもない。

ただ彼が、幸せに暮らせたらと………。

けれど、それには『私』が必要なのであれば、これ以上の幸せはない。


頬に添えられた彼の手に手を重ね、微笑する。


「ずっとお傍にいますから」

「当たり前だ」

「ウフフッ…」

「この俺から逃げれると思うな?地獄の果てでも探し出してやる」

「ホントですか?」

「愚問だ」


漸くいつもの彼に戻った。

口角をキュッと上げ、不敵に微笑む姿はいつみても京夜様らしくてホッとする。

そんな彼にギュッと抱きついた。


「京夜様っ、だぁ~~~いすきッ!!」


久しぶりの感触。

細い線なのに、程よく筋肉がついていて。

大柄な私が抱きついても、決して負けない体。

自分が『女性』だと思わせてくれる、唯一の男性(ひと)。

このぬくもりを決して手放したりはしないんだから。


自然と視線が絡み合うと、


「行くぞ」

「……どちらへ?」

「フフッ」




手首をガシッと掴まれ、向かった先は……。


「えっ、何ですか?!………ここ」

「見ての通りだ」

「いやいやいやいや、聞いてませんよっ!こんな所があっただなんて……」

「フッ、当たり前だろ。話したことはないからな」

「ええええええぇぇぇぇぇ~~~っ!!」


発狂したくもなる。

だって、目の前には、ショッピングモールや駅構内でよく見るような飲食街が!

都内屈指の高級タワーマンションの4階フロア―には、有名どころの店舗が軒を連ねていた。

しかも、3階はクリニック専門エリア、2階は食品、日用品、雑貨を扱うショップがあるという。


いつも地下駐車場から直接最上階へと移動している為、

そんな店舗が入っているだなんて知らなかった。


ツーリングや散歩の帰りにコンビニやドラッグストアーに寄ることはあっても、

まさかまさか、マンション内にこんなところがあるとは………。


「灯台下暗しですね」


唖然とする私に、彼は更に爆弾を投下した。


「で、どこにする?」

「へ?」


腕組みしながら顎で店舗を指した。

寿司屋、とんかつ屋、天婦羅屋、ラーメン屋、蕎麦屋。

フランス料理、イタリア料理、中華料理……。

勿論、和食処まであるのだから、選びようがない。

億ションとも言えるこのマンション内に店舗を構えるのだから、それ相応の味と値段に違いない。

私は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


すると、彼は私の顔を覗き込んで。


「決めないなら、俺が決めるぞ」

「あっ、はい!どうぞどうぞ~」


待ちきれないのか、彼は踵を返して歩き出した。

向かった先は………。

えっ?!

そこですか!?

私は思わず自分の目を疑った。

だって、彼が立ち止まったのは………。




黒地に金文字、そして、赤い暖簾。

京夜様と生活するようになって、久しく食べてないアレだ。


「京夜様っ、ホントにここでいいんですか?お店なら、他にもありますよ?」


暖簾をくぐろうとする彼の腕を掴んで引き留めると、

彼は不機嫌そうに振り返った。


「何気に失礼な発言だな」

「え?」


引き留めたことに機嫌を損ねたのかと思えば、

私が発した言葉にイラっと来たようだ。

自分が口走った言葉を思い返すと、………あっ。


「すみません、そうですよね……」


店先で話すような内容じゃないわ。

本当に私って無神経だ。

別にこのお店の味を疑っている訳じゃない。

このマンションだって、御影グループ所有のものなんだし。

そのタワーマンションに店舗を構えるんだから、それ相応のレベルだってことも。


ただ、まさか彼がこのお店をチョイスするとは思ってもみなかったから。

彼から手を離し、小さく頷く。


「入りましょう!」

「当然だ」

「…………」


さっきまでご機嫌だったのに、一瞬で不機嫌になれる人。

扱いはかなり難しいけど、そんな彼がご機嫌になる術を私は何となく知っている。

だから………。


暖簾を手で捲り上げ、もう片方の手でドアを開けて下さり、

私をエスコートする彼に満面の笑みを。


「ありがとうございます」


ほら、やっぱり。

一瞬目を見開いた彼が、すぐさま口角をキュッと上げ、不敵に微笑んだ。

私が楽しんだり喜んだりしたら、彼は不機嫌になったりしない。

よほどの理由がない限り。



「いらっしゃませ~」




夕食には少し早い時間帯という事もあり、人の視線も気にすることなくのんびりと。

そして私は、贅沢な海鮮味噌ラーメンを戴いた。

京夜様に至っては、今日のラーメンが、28年の人生で3度目だと……。

マンション内に店舗があることも勿論だけど、

京夜様が正真正銘の御曹司だと改めて実感した、そんな日だった。




待ちに待った、この日。

病院から帰宅した彼女は、懐かしそうに家具に指先を這わせていた。

何年も不在にしてたかのように。

そんな彼女の姿に思わず涙腺が緩む。

前はこんな風にちょっとしたことで涙ぐんだりしなかったのに。

彼女と出逢って、180度変わった俺がいる。

尻に敷かれたりご機嫌伺いをする友人がいたが、

正直言って、内心そいつらのことを馬鹿にしていた。

自分というプライドはないのか?……と。

だが、希和と出逢って分かった。

自分という殻を打ち砕いたとしても

それに見合う、いやそれ以上に価値のある幸福感がそこにあると。

中高生どころか、今時じゃ小学生でも分かりそうなそんなことが、

俺は28年間知らなかったし、知ろうともしなかった。

御影の社員数万人、関連企業も含めたら数百万人にも及ぶ従業員の頂点に立つ立場なのに

未だに知らないことだらけ。

特に恋愛に関しては……。


手術直後に比べたらだいぶ顔色も良くなったが、

でも時折見せる痛みに耐える表情が何とも言えぬほど痛々しく。

ぎゅっと抱きしめたい衝動を何度も何度も堪えて……。

きっと、俺が自分の欲求に正直に行動したら、

彼女は終始痛みに耐えないとならない。

まだ傷口が完全に癒えた訳じゃない。

最低限の傷の回復ということは重々承知している。

本当は完全に回復するまで完全看護で治療して貰いたいところだが、

1日でも早く退院したいという彼女の希望を最優先にした。


そんな彼女に家事をさせたくなくて、

俺はこれまで敢えて避けて来たことをすると決めていた。

それは………。




「とっても美味しかったですね」

「フッ、……だな」


少し早めの夕食を終え、

俺は自宅のある最上階へと向かう為、

エレベーターのセンサーにIDキーをかざした。


希和はマンション内に店舗があるということに衝撃を受けたようだったが、それもそのはず。

これまで、自宅のあるタワーマンション内を散策したことが、一度も無いからだ。

俺は完成直後に1度だけ廻ったことがあるが、それは仕事の一環として。

しかも、挨拶廻りをしただけで、店舗で食事をしたことはない。

何年も住んではいるが、他の住人達と交流を持つことが無いため、

敢えて使用して来なかったというのが正しい。

本当に心を許すような友人知人以外は皆、

俺=御影の御曹司という存在を『打ち出の小槌』か何かと勘違いしている。

飲食店で顔を合わせたら『奢るのが当然』と思い込み、

一度挨拶したくらいで、あたかも友人のように振舞うやつは数知れず。

まぁ、そいつらの飲食代くらい支払ったところで痛くも痒くもないが、

1度すれば、2度3度と輪をかけて接して来る奴はごまんといた。

人間、『金』が嫌いな奴は稀。

だからこそ、『金』で付き合うような奴とは関りたくない。

俺は、敢えて顔を合わせず済む方法を選択して来た。

仕事で接する以外は、例え自社の社員であっても会うことはない。

それが、決してブレない俺のスタンス。


同じマンションの住人とはいえ、交流を持つ気が無いのに

何度も顔を合わせ、その度に社交辞令の挨拶をするのが苦痛で。

自ら厳選した店舗であっても、店を訪れたことが無かった。

彼女が来る前は、たまに出前を頼むことはあったにせよ……。


それほどまでに貫いてきた信念だが、

彼女の今の状態を考えたら、そんな些細なこと、どうでもよくて。

如何に負担掛けずに済む方法は何か、それが知りたいだけだ。

出前を取ると言えば、『作ります!』と譲らないだろうと思い、

外出するのは避けたいところだが、マンション内ということもあり、

俺は飲食店街で食事をする決断に至った。




自宅に到着した俺は、

希和が無意識に家事をし始めないように声を掛ける。


「シャワーを浴びて来たらどうだ?消毒したり、時間がかかるだろ」

「………あ、はい。では、お言葉に甘えさせて頂きますね」

「おぅ」


医師から説明を受けていたため、彼女の今の状態は理解している。

傷口は辛うじて塞がってはいるが、完治した訳ではない。

傷口に衝撃などを受ければ、開いてしまうこともあるらしい。

それに彼女の場合、傷がかなり深かったため、

元の状態に戻るには結構な時間がかかるという。

幾ら痛みに強いとは言え、出来る事なら痛みと無縁でいて欲しい。

1日も早く、彼女の傷が癒えるのを祈るばかりだ。


彼女がシャワーを浴びている間に出来る限り部屋を片付け、

風呂上がりの水分補給用に予め作っておいたミントウォーターをグラスに注ぐ。

ミントにはデトックス効果があるらしく、

腹部を損傷した彼女が出来るだけ無理な腹圧を使わず済むように。

それと、免疫力がアップするらしく、

病み上がりの体が少しでも楽になれるように。

俺に出来ることは無いかと、必死にネットで調べた。

執事の吉沢に話せば、すぐさま完璧な手配をしてくれるだろうが、それでは意味がない。

俺が自身の手で彼女の為に何かしなければ……。

そして、手軽に摂取できる物が無いか調べた結果、

フレーバーウォーターに辿り着いた。

少し前に流行ったということもあり、

ネットで検索したら、出てくる出て来る。

面白いほど沢山検索ヒットした中から、俺はミントをチョイスした。

夏だから冷えてる飲み物の方がいいだろうが、

病み上がりの体には常温の方が適している。

リビングテーブルの定位置にグラスを2つ置いた。


俺は仕事用のPCを開き、新規出店用の市場調査表に目を通す。

休日中とはいえ、時間は無駄に出来ない。

後回しにしていた仕事を片付けていると。


「お仕事ですか?」


ほんのりフローラルな香りを纏った希和が、

いつもの定位置、俺の右斜め横に腰を下ろした。

すると、グラスに気付き、嬉しそうにそれを手にする。


「これ、私の分ですよね?」

「他に誰がいる」

「ありがとうございます!戴いてもいいですか?」

「許可は不要だ」

「っ……、そうですよね」




もっと優しい言葉を掛ければいいものを

照れくさくてぶっきらぼうな言葉遣いになってしまった。

後悔の貯金がまた1つ増えてしまったことに辟易しながら、

俺もグラスに口を付けると、

キラッキラの瞳で俺を見つめている。


「うっ……」


思わず吹き出しそうになってしまった。

グビッと喉を鳴らしながら流し込み、親指で口元を拭う。


「何だ、どうかしたか?」


本当は『何だ、その眼は』と言いたいところだが、

彼女が何を思っているかぐらい、俺にも分かる。

あからさまに優しくしたらキザ過ぎると思って、

ドリンク類ならいつもの延長線上で多少なりともカモフラージュ出来たかと思ったんだが。


「『愛』の力って、凄いですね~♡」

「ッ?!………何のことだ」

「ウフフッ、ホント可愛いんだからっ、京夜様って♪」

「馬鹿にしてんのか?」

「いいえ、全っ然!!嬉し過ぎて、キュン死しそうです」

「フッ、そんな簡単に死なれたら困る」


俺の考えなんてお見通しのようだ。


「『愛』の力ですよね?」

「だから、何のことなんだか……」

「愛してないんですか?」

「は?」

「だ・か・ら、『愛』……してないんですか?」


相変わらずキラッキラの瞳で俺をじっと見つめている。

俺の考えがお見通しなように、彼女の考えていることくらい俺にだって分かる。

俺に言わせたいんだろう、アノ言葉を。

だが、俺は超が付くほどの天邪鬼だっていうことを忘れてるのか?

俺がそんな簡単に口走るタイプじゃないってことを。


俺は再びグラスに口を付けて飲み干すと、無言で立ち上がる。


「フッ、愚問だ」


彼女が驚き残念そうな表情を覗かせたが、

そんな様子を愉しむように俺はキッチンへと向かった。


希和が大怪我をして悟ったことがある。

出来ることを出し惜しんで後悔しないように

どんなことでも気が付いた時にすぐさま行動に移すこと。

『愛している』という言葉を口にすることは容易い。

だからこそ、安売りはしたくない。

言わせられるのではなく、自然と口から溢れてしまう時まで

大事に大事にしておきたい。




退院祝いをしたいところだが、

傷に障ってしまうため、希和は飲酒出来ないし。

そんな彼女の目の前で飲むわけにもいかない。

それどころか、彼女が倒れてからというもの、飲むことすら忘れていた。

最近は晩酌せずとも普通に過ごせているし、

酒の力で抑えきれぬ感情をうやむやにしたいとも思わない。

彼女が辛い思いをしているのに、

俺だけが楽になるなんて赦されるはずもない。


久々の日常に無意識に緊張しているのか、喉が渇く。

俺は、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを口にすると。


「んッ?!」


突然背後から彼女が抱きついて来た。

思わず吹き出しそうになった俺は、

ボトルをキッチン台に置き、彼女の腕を軽くタップする。

すると、緩やかに解かれる彼女の腕をそっと掴んで踵を返し、


「襲う気か?」

「フフッ、そのつもりです。………ダメですか?」


何だ、その瞳は。

珍しくおねだりモードの表情(かお)だ。

彼女は滅多なことじゃない限り、我が儘を言ったりしない。

俺としてみれば、毎日言われたって苦じゃないし、

それこそ、毎日俺を困らせて欲しいくらいだ。

希和はいつだって優等生で。

いつでも俺のことを最優先に考え、行動する。

今回の襲撃事件だってそうだ。

彼女のことだから、本当は犯人を取り押さえることだって出来ただろう。

だけど、それではマスコミの餌食になると思い、

敢えて何事も無いように振舞ったに違いない。

実際、革製のビスチェのようなものをワンピースの下に着ていたらしい。

だが、犯人が狙った場所は胸部でなく、脚の付け根に近い下腹部だった。

痛みに耐えることなく声を上げてくれればどんなによかったか。

マスコミの餌食になることなんて、

希和が負傷することに比べたら、どうでもいいことだ。

希和と視線が交わり、胸の奥から遣る瀬無さが込み上げて来る。

少しばかり挑戦的な表情は、俺を試そうとしてのるか?

それとも、俺が何て答えるのかを聞きたいのだろうか。

どちらにせよ、俺にしてみれば嬉しい悲鳴。


俺は彼女の後頭部に手を回し、ゆっくりと顔を近づけた。




「好きにしろ」


彼女の耳元にそっと囁く。

希和は俺がキスをすると思ったらしく、

俺の言葉に肩をビクッと震わせ、

俺の声に反応するように顔を横に向けた、次の瞬間。

ッ?!

唇に柔らかい感触が。

彼女は慌てて俺から離れようと。

そんな彼女の腰を抱き寄せ、悪魔心が顔を覗かせる。


「俺を襲うんじゃなかったのか?」

「う゛っ……」


さっきの威勢はどこへやら。

顔を上気させ、仰け反るように背を反らせた、その時。

俺は見逃さなかった。


「すまない。………大丈夫か?」

「っ………、はい、平気です」


体を反らせたことで、傷口に障ったようだ。

嬉し恥ずかしいような表情を浮かべた彼女が、

一瞬で苦痛に耐える表情をしたんだ。

そんな彼女の体をしっかりと抱きしめ、

呼吸が整うように背中を摩る。

俺に出来ることなんて、本当にこれくらいしかない。

今まで何不自由なく生活した来た俺だが、

今の俺は、本当に無力で。

彼女の苦痛を取り除くことすら出来ない。


深呼吸した彼女がゆっくりと顔を上げた。

何事もなかったかのような表情で俺の両肩に手を置き、

背伸びをしたかと思えば、

小悪魔の顔をちらつかせ、俺の唇を奪いやがった。


「フフッ、ご馳走様ですっ!」

「なっ……」

「これはまだ序の口ですからね!」

「ッ!?」

「覚悟して下さいね~♪」


希和は余裕の笑みを浮かべ、値踏みするように人差し指を上下させた。


「フッ、上等だ。いつでもかかって来い」

「いいんですかぁ?そんなこと言って」

「何がだ?」

「死にかけた人の覚悟ってものが分かってらっしゃらない」

「はぁ?」

「三途の川を渡りかけた私にとって、もう怖いものなんてないですから」

「フッ」

「笑ってられるのも、今のうちですよ~?」

「おかしいな。負傷したのは腹部だよな?倒れる前に俺が支えたはずなのに、頭をどこかで打ったか?」


挑発するような言葉を口にする彼女じゃなかったのに。

何がどうしたらこうなるんだ?

目の前の彼女はまるで別人のように見える。