沢山のフラッシュがたかれる中、無事にテープカットも終え
オープニングセレモニーが幕を閉じた。
そして、残るは囲み取材のみ。
京夜様の話ではおよそ5分くらいだと言う。
それでも、何が起こるか分からない。
私は移動する間も気を抜かず、彼の傍から片時も離れずにいないと。
セレモニー会場を後にする私達に容赦なく向けられる質問の嵐。
挙式日を非公開にしている為、いつ入籍するのかと質問が絶えない。
更に、結婚後も公私ともに彼を支えるつもりの私。
仕事を続ける意向を先日雑誌の取材で伝えていた。
その件においても質問が次々と降って来る。
京夜様からは笑顔で頷くだけでいいと言われていた為、私は終始笑顔で貫くのみ。
用意された場所での囲み取材。
報道陣の質問には、全て京夜様が答えて下さった。
「では、そろそろお時間ですので……」
空港職員の言葉が合図に、一斉に御影の護衛が姿を現した。
それを合図に私と京夜様はカメラに向かい深々とお辞儀。
どんな時も礼節を尽くすことを忘れない。
私達は護衛に囲まれながら、
空港職員の誘導でStaff onlyと書かれた扉へと歩き出した。
ビジネスマンの顔から一瞬、素の顔を覗かせた彼。
それでも、報道陣のカメラが向けられている以上、気を抜けない。
しつこく投げかけられる質問にも彼はクールな表情で上手く交わし、
いつも通りの大きなストライドで優雅に歩く。
そんな彼の後ろ姿を見据えながら、
胸の奥で彼との幸せな未来を思い描き、思わず頬が緩んだ、その時。
眩い光を放つストロボに一瞬反射した小さなものを視界に捉え、
私の体は、………無意識に反応していた。
「っ…………、ごっ、めんなさいっ」
「大丈夫か?」
「…………はい」
私は踏ん張ってみたものの、よろけて護衛の男性の肩に接触した。
そんな私を気遣って京夜様は振り返り、私の左手をぎゅっと掴んだ。
私は必死に笑顔を張り付け、体勢を崩さぬよう全神経を集中させた。
………大丈夫、落ち着いて。
大勢の報道陣に囲まれ揉みくちゃにされながらも、
今私に課せられた任務を全うするのみよ。
そう自分自身に必死に言い聞かせた。
右手でクラッチバッグをしっかりと持ち、脇を締めるようにそれを体に密着させて。
左手は京夜様の右手ときつく繋がれている。
そんな私達の手をカメラに収めようと、報道陣も必死だ。
体躯のいい護衛の人達のガードの隙を狙って、容赦なく何本もの腕が伸びてくる。
こういうことも想定して、私は今日の服装を決めていた。
フォーマルの服としては珍しい、綿シフォンのワンピース。
薔薇のように何枚もの花びらを表現したデザイン。
ひらひらと揺れるそのシルエットは女性らしさを強調しつつ、
綿という柔らかい素材が、緊迫感を生む場を和らげてくれると思って。
それに、低めのヒールのパンプスは不測の事態でも身動きしやすいように。
『御影』の事を考えたら、洗練された衣装に身を包むのが当然だけど、
今日だけ、今日だけはどうしても………。
重厚感のある扉が開き、京夜様と共に関係者以外立ち入り禁止の区域へと。
最後の最後まで諦めぬフラッシュの嵐。
バタンッと大きな音を立ててドアが閉まると、私は漸く呼吸らしい呼吸をした。
「フゥ~、やっと終わったな」
ネクタイの結び目を緩めながら、優しい笑みを浮かべる京夜様。
いつ見ても胸をキュンとさせる彼の笑顔が、少しづつ歪んでゆく。
「おいっ、どうした?………気疲れでもしたか?」
緊張感から解放された彼は、ポンと私の頭に手を乗せた。
良かった、ご無事で。
彼の優しい声音に、人前だと分かっていても涙腺が緩まずにはいられなかった。
そんな私を見た京夜様は、護衛の人達に“回れ右”をするように指で合図した。
すると、一斉に背を向ける護衛。
空港職員の視線を遮るように、円陣で壁を作ってくれた。
そんな彼らの動きすら、スローモーションのようで。
目の前にいるのは紛れもなく私の大好きな人。
普段はクールな表情なのに、私の前では蕩けるほど極上に甘いフェイスをする。
なんだって器用にこなす割に、恋愛に関してだけは、かなり奥手で。
生まれてこのかた、お金に不自由した事が無いのに
私がチマチマ節約してるのを見ても、決して馬鹿にしたりしない人。
意外な一面を見れたら、この上なく幸せで。
毎日お傍で見ていても、決して飽きない。
この世でたった一人、私だけを愛して下さる方。
好きすぎて、想いが溢れ出す。
ゆっくりと広げられた両手。
ふわっとシトラス系の高級フレグランスが香って来た。
優しい笑みを浮かべて、私を受け止めて下さる胸までたった一歩。
手を伸ばせば届くその距離、僅か50センチ。
いつもなら飛びついてしがみつくのに、
今は足が鉛のように重くて動かない。
「希和」
極上の王子様の美声も木霊してるみたいで……。
微動だにしない私に痺れを切らした彼は、
ゆっくりと私に近づき、長い腕で優しく包み込んだ。
ありがとうございます、京夜様。
……ご無事でいて下さって。
だけど……
「ごめんなさっ………」
関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉をくぐり、独身最後の公式行事が幕を閉じた。
思わず零れ出す本音。
滅多に愚痴を零したりしない俺だが、さすがに今日ばかりは胸を撫で下ろした。
希和の方に振り返れば、大きな瞳に涙をいっぱい浮かべていた。
今にも大粒の涙が零れ出しそうで。
俺は護衛の者らを払おうとしたが、傍にいる空港職員の視線が邪魔だ。
そりゃあそうだよな。
俺らはどこにいても注目の的だろうから。
だから俺は、空港職員の視界を遮るように護衛の者らに壁を作るように指示を出した。
これで、誰も俺らの邪魔はさせない。
おいで、希和。
俺は彼女を抱きしめたくて、両手を広げた。
けれど、瞳がますます潤むばかりで、俺の元へ来ようともしない。
本当に稀だが、俺がこうして両手を広げれば、いつだって飛び込んでくる彼女なのに。
もしかして、緊張していた糸が切れて動けないとか?
それとも、俺が来るのを待っているのだろうか?
人前で涙など見せぬ彼女だが、さすがにホッとしたのかもしれない。
今までずっと頑張りすぎていたから。
俺は、無言で彼女を抱きしめた。
壊れ物を扱うみたいに、そっと。
なのに、彼女は抱きしめ返す事もせず、
俺の胸に埋めた顔をゆっくりと持ち上げ、女神のような美しい笑みを浮かべた。
「ごめんなさっ………」
大きな瞳から一粒の涙が零れ出した、次の瞬間!
「んッ?!………おっ、おい………希和…………希和?」
俺の腕の中にいたはずの彼女は、突然膝から崩れるように倒れ込んだ。
一瞬の出来事で何が起きたのか、分からない。
必死に彼女を支え、視線を落とせば、彼女が………。
「希和………希和っ!!」
彼女の頬に触れても、反応がない。
力なくその場に崩れる彼女。
俺は膝をつき、希和を抱えるようにしゃがみこんだ。
すると、バッグを持っている手が、だらりと床に……。
「希和っ、希和!しっかりしろッ!!」
「坊ちゃまっ、どうかされましたか?!」
俺らに同行している執事の吉沢が護衛の円陣の外から割って入って来た。
「吉沢っ、希和の様子がおかしい!………希和、頼む………目を開けてくれ」
俺は必死に声を掛けるが反応がない。
彼女を支える腕が震え始めた、その時。
「こ、……これは………」
思わず漏れ出した吉沢の声に反応するように、
床に落ちたクラッチバッグに視線を落とすと、裏面に真っ赤な血が……。
「失礼しますっ」
吉沢は希和の体にそっと触れると、脇腹から下腹部にかけての所で手が止まった。
その手は、彼女のバッグと同じ色に染まって。
険しい表情で俺を見上げた吉沢は、俺の胸元に手を伸ばしてきた。
「お借りしますっ!」
スッと引き抜かれたポケットチーフ。
その行方を目で追えば、彼女の腹部に銀色に光るものが見えた。
ッ?!…………刃物だ。
「奥村っ、ここをしっかりと押さえてろ」
「あ、はいっ!」
すぐ脇にいた護衛の一人が吉沢の指示に従い、希和の腹部に手を伸ばしてきた。
花びらのように沢山の布に覆われている服だから、
柄の部分が短いその刃物が、すっぽりと隠れていたようだ。
しかも、今日に限って吸収力のある綿素材を着てるじゃないか。
これじゃまるで………、ッ?! いや、待て。
もしかしたら………。
俺らの会話で、一瞬で辺りに緊張が漂う。
吉沢は一瞬空港職員の方に視線を向けたが、すぐさま襟元の無線マイクで指示を出し始めた。
「……―――………救急車っ、いや救急車じゃ間に合わんッ!ヘリだっ!ヘリをすぐさま待機させろっ!!」
吉沢の発狂にも似た声に反応するように、数人の空港職員が駆け寄ってきた。
俺らを囲む護衛の奴らも動揺し始める。
そんな状況を目の当たりにして、一番俺が動揺していた。
何をしていいのかすら分からない。
彼女を抱きかかえる手でさえ、震えが止まらないというのに。
「坊ちゃまっ!しっかりして下さい!!」
「……………あ、あぁ」
吉沢に喝を入れられ、漸く我を取り戻した。
彼女を死なせてたまるかッ!!
俺は異常なほど早まる動悸を堪え、彼女の体を抱き上げた。
「ヘリはどこだ、案内しろ!」
「こちらですっ!!」
襟元についてる無線マイクで指示を出した吉沢は、
動揺する護衛の奴らを手で払い、素早く誘導し始める。
「どけっ、邪魔だ!」
腹の底から声を張り上げ、無我夢中で先を急ぐ。
黒いスーツを身に纏った体躯のいい男連中が殺気立ち、
一塊となって空港内部を走り抜ける。
その異常な雰囲気に、空港内部は騒然と化していた。
頼む、目を開けてくれ。
君にまだ伝えてないことがあるんだ。
一緒にやりたいことだって山ほどあるのに……。
俺はいつだって後悔してる。
後になって気付いたって遅いのに。
御影専用の大型ヘリで病院へ搬送中の機内。
希和の腹部からは、とめどなく血が……。
ドクターヘリの到着を待つより、専用ヘリで搬送した方がいいと判断し、現在に至る。
空港内の病院から医師と看護師が1名ずつ搭乗しているが、
その表情がとても険しく、一刻の猶予もないことが窺える。
5分ほどで病院の屋上に到着し、すぐさまエレベーターで3階手術室へ。
「希和………」
手術室の入り口で、ストレッチャーが停止した。
俺はそっと彼女の頬に触れたが、ピクリとも動かない。
数分前までは俺に笑顔を見せてくれていたのに……。
「お願いします」
物々しい雰囲気で、彼女は手術室へと姿を消した。
悔しさと遣る瀬なさで怒りが込み上げてくる。
俺は一体何をしてたんだ。
いつだって犠牲になるのは彼女じゃないか。
握る拳がわなわなと震え出す。
クソッ!
何故、彼女がこんな目に……。
あれほど、厳重に警戒してたのに。
手術室の前で必死に祈る。
どうか、………どうか、無事でいてくれ………。
彼女が助かるなら、何だってするから。
だから、俺の元に―――――。
「京夜っ!」
どれほどの時間が経ったのかすら分からない。
無我夢中で祈り続けていると、母親と彼女の母親が吉沢と共に駆け寄って来た。
「申し訳ありませんっ!本当に………申し訳っ、ありません」
膝をつき、必死に頭を下げる。
どんなに心の底から謝罪したとしても、決して許される事じゃない。
大事な大事な娘さんに取り返しのつかない傷を負わせてしまったのだから。
「京夜君………。何故、ここにいるの?………あの子と一緒に…………飛行機に乗ってるはずじゃないっ!」
その場に泣き崩れる彼女の母親。
取り乱すのも当然だ。
本当なら、今頃太平洋の上空を飛行しているはずなのだから。
母親が彼女の母親をそっと抱き寄せ、背中をさする。
彼女の母親は声にならない嗚咽を漏らしながら、両手で顔を覆って……。
必死に堪えていたのだろう。
だが、さすがに堪えきれなくなった俺の母親もその場に泣き崩れた。
俺は本当に親不孝者だ。
今までも散々心配掛けて来たというのに。
やっと、漸く安心させてあげれると思ったのに。
なんでこうなるんだ。
無力の自分が恨めしい。
28年もの長い時間、俺は一体何をしてたんだ。
一番大切な女性(ひと)すら守ることも出来ずに………。
更に一時間が経過した頃、血相を変えた彼女の父親が到着した。
「申し訳ありませんっ」
謝って済むことじゃない。
けれど、謝らずにはいられなかった。
「京夜君が悪い訳じゃない」
「いえ、全て自分が悪いんです」
「そう自分を責めるな」
膝をつき土下座する俺に、彼女の父親は優しく手を差し伸べる。
「あの子はそんなに柔じゃない。この私が育てたんだ。………きっと、大丈夫」
俺を責めることもせず、優しい言葉をかけてくれる。
本当は辛く悲しく遣りきれず、怒鳴り付けたいだろうに。
その懐の深さに、心が締め付けられた。
皆、次第に言葉が無くなり、溜息ばかりが零れ出す。
どれほどの時間をこうして待ち続けなければならないのだろうか。
『手術中』と点灯している場所から視線が外せない。
そんな中、不意に手術室の扉が開くと、その場にいる誰もが一斉に視線を送る。
だが、手術はまだ続いているらしい。
看護師が申し訳なさそうに出入りするのみ。
中で、何かあったのではないのか?
時間が経過するほどに不安が募っていった。
そして、4時間ほどが経過した頃。
吉沢が飲み物を手にして戻って来た、その時。
煌々と照らされていた『手術中』の明かりが消えた。
「あっ……」
俺は、思わず声が漏れ出した。
すると、俯いていた母親達が一斉に顔を上げ、彼女を出迎える為に立ち上がる。
皆が一心に視線を注いでいると、程なくして扉が開いた。
青いスクラブを身に纏った医師がゆっくりとした足取りで。
「先生っ!」
「娘は………、娘は無事なんですよね?!」
そこにいる誰もが同じ心境で、彼女の無事を心から願っている。
彼女の母親が医師の腕を掴み、娘の安否を尋ねると。
「手術は無事に成功しました。出血によるショック症状があったので、もう少し遅ければ、かなり危険な状態でした。術後の様子を診ないとなりませんが、命に別状はありません。どうぞ、ご安心下さい」
顔面蒼白の両親を目の前に、医師は丁寧に説明した。
「うっ………ッ…………」
「有難うございました」
彼女の母親は口元を押さえ、大粒の涙を零した。
医師は会釈し、ゆっくりとした足取りでその場を後にする。
その表情は明らかに疲労感が滲んでいた。
「後ほど、医師から詳しい説明がありますので……」
小豆色のスクラブを着た看護師が深々とお辞儀し、再び扉の向こうに姿を消す。
命に別状はないと聞いて一先ず安堵するものの、不安は尽きない。
彼女の顔を見るまでは………。