「好きだ。」

その言葉に凛々が驚いたのは
本当に一瞬だった。

何故なら、その言葉が偽りの物だと
凛々はすぐに分かったのだ。

相手は大企業の社長。

まだ数回会っただけの相手に
好きだなんてバカな女ですら
信じないだろう。


そう、一夜を過ごすための
口説き文句でしかない‥
それを凛々は理解しあえて
その言葉には答えない。


「今夜は‥もう失礼致します‥‥。」

ヤれないと分かった男に
舌打ちでもされかねないと
凛々は思ったが社長と一夜の関係を
気づいてもいい事なんてないし、
それに単に面倒だった。

だが、凛々の思惑は外れ
男を見るとまるで
映画のワンシーンの様に
整った顔が凛々を優し気に見ている。

男は何も言わないが帰ると
決めた以上長居はしたくない。



「お代‥‥‥。」

払う気もなかったが
帰り支度をした凛々は尋ねた。
大企業の社長との逢瀬に
ワリカンなんていうのも、
可笑しな話だ。


「もうマスターに渡してある。家まで送ろう。」

流石社長といった所か。


女の理想を分かっている、と
凛々は思うとさらに
社長への印象を悪くした。

「ご馳走様です。私の家、ルームシェアなんで、帰ると友達が、いるんです。」


第三者から見たら、会話は
全く噛み合ってはいないが、
凛々の言葉には私はヤれません、
という意思を誰しもが気づいただろう。


「そうか、なら近くまで送ろう。私といるのを見られたら友人の気に掛けてしまうだろうから。」



もちろん、凛々はこの厚意をありがたく受け取るのだが 好きだ と言われたときよりも大きく驚いたのだ。


ふうん。
抱けない女でも家に送るんだ。

「ありがとう‥ございます。」







車でも‥と迫られたらどうしよう
身構えた凛々だったがそれは
意識過剰だったのだと気づく。

車は見慣れたアパートが
少し見えたくらいで止まって、
名残惜しそうな音をたてた。

「ここでいいか?」

「はい。ありがとうございました。」




「…‥‥‥‥。」

寒い中無言で立ち尽くす男女は
別れを惜しむ恋人の様であった。

凛々自体は何と言って
どのタイミングで別れを言おうか
迷っているだけなのだが
男の気の強そうな麗しい顔は
一瞬寂しそうに見えて‥


ほんの、ほんの少しだけ

凛々の心を揺らした。