背後で閉まった扉の音に続いて、女官たちが去っていく足音を注意深く追いながら、女性は細く長く息を吐いた。女性というより少女というのが相応しいような体つきに見えるが、その意志の強さを感じさせる瞳が彼女を女性と呼ぶにふさわしく見せている。繊細な刺繍を施した重みのある服を身にまとい、頭には薄い布を重ねた地面に届くほどの布を被っている。彼女の動きに合わせて、装飾品が鈴のように鳴った。

「今の振舞は寵姫らしかったかしら」

 さあ、と首を傾げた二人の付き人に不満げに唇を尖らせて、彼女は部屋の中をくるくると歩き回る。果物、酒、水やお香などを一通り見て回ると、次は窓に飛びつくように外の景色を見た。
 月がようやく出た時間である。
 窓の桟を細い指で撫でながら、彼女は月を眺めた。

「明日も晴れそう」

 楽しげに笑うように言う。ほっそりとした月にはわずかに雲がかかっているが、風邪の流れは穏やかで星もよく見える。月を見て待つわ、といった彼女に一人の付き人が椅子を運ぶ。男性にしては小柄で線が細い。歩き方がやや不自然に見えるが、片手で椅子を持って窓の近くに運ぶ。

「果実酒を受け取って毒見を済ませたら、僕たちは下がりますからね。控えるなんてとんでもない。あとはお好きにやってください」
「あら、職務放棄だわ」

 不満げに言う彼に向けても、彼女は楽しそうだ。ありがとう、とお礼を言って、さっと、もたれるように椅子に腰かける。

「佩芳(ベイファン)、藍天(ランティエン)と一緒にしばらくは控えておいて。話が終わったら帰ってくれていいわ。藍天は寒くなる前にいい薬を探さないとね。この国は暖かいけれど、あなたの脚や腕には響くでしょう」

 佩芳と呼ばれた大柄な女性は神妙に頷き、椅子を運んだ男性は指摘された腕をさすった。

「僕のことはいいんですよ。酒でも飲めば和らぎます。誰もが頭を垂れるあなたの傍にいれば、僕は身を隠すまでもなく忍べますから。先ほどの女官たちも僕に気づいていなかったでしょう。それよりほどほどにしてくださいね。あなたは酒に弱いのに飲みたがる」

 女性はうんざりというように肩をすくめてみせた。
 その時、扉をたたく音がした。おそらくは先ほどの女官だろう。佩芳が扉を開けると、盆を持った女官が顔を伏せて立っていた。二、三言やりとりの後、佩芳が盆を受け取り扉が閉まる。
 合図もなく、盃に半量ほど注ぎ、藍天に差し出す。彼は足を引きずって歩み寄って受け取り、一気にあおった。

「控えの間で様子を見ますから、半刻は飲まないでくださいね。では、僕たちはこれで」

 頷く女性に、二人の従者は部屋を後にした。残された女性は、窓の桟に腕をかけ、ぼんやりと月を見上げた。



 どのくらい経ったのだろうか。
 気づかないうちにうとうとしていたところに、肩に何かが触れた気がしてはっとして身を起こした。

「すまない」

 耳元で聞こえた低い声に顔を上げると、そこには男性が身をかがめていた。まだほんのわずかに幼さを残してはいるが端正な顔を、わずかに伸ばされた黒髪が縁取っている。

「いえ…ごめんなさい殿下、寝てしまっていたみたい」

 あれからどれ程経ったのか。毒見の結果はどうだったのだろう。何の知らせもないところを見ると、問題なかったのかもしれないし、そもそもそれほど時間は経っていないのかもしれない。
 うろたえたように視線をさまよわせた彼女に、彼は困ったように微笑んだ。

「眠いのなら寝ているといい。寝台に運ぼうかと思っていたんだ」
「いえ、お気遣いなさらなくても…」
「私がそうしたかったのだ、瑞季」

 遮るように言い切った彼に、瑞季、と呼ばれたその寵姫は言葉を噤んだ。目の前にいるのは、世間に披露されてから七年間で才を現した稀代の王太子である。しがらみと悪しき伝統と強い意志の間に苛まれながら、その意志を貫き手腕を振るってきた当人だ。小国でありながら一歩も引かない若さゆえの行動力は、披露目当時に二分していた派閥をほとんど融合させたほどだ。
 瑞季はものを言えないまま、王太子を見つめた。
 王太子は瑞季の肩に置いていた手をそっと離し、冠を支える紐を解いた。それを手に取ると、かがめていた身を起こして、窮屈だと言わんばかりに衣を少しばかり緩めた。

「さあ、始めようか。私たちは一秒も無駄にするわけにはいかない」

 瑞季は立ち上がって襟元を正し、王太子と向かい合った。そしてふと、控えの間にまだ二人はいるだろうか、と頭の隅で考えた。