躊躇いと戸惑いの中で






     自分と向き合う






週末。
のんびりとした朝を迎え、私はお気に入りのカップで一人コーヒーを飲んでいた。

休日だからといって、距離を置きたいと言った聡太と逢えるはずもなく。
一人の時間を寂しく過ごす日が続き、今日も週末を持て余す。

店舗にでも顔を出そうかな。

そんな考えに苦笑いが漏れる。

どれだけ仕事好きなのよ。
他にすることないの?

自分自身に言って、とりあえずおしゃれして出かける準備をすることにした。
着替えて化粧をしながら、鏡に映る自分に話しかけてみる。

「久しぶりに、カップでも買いに行こうかな。それとも、映画か洋服でも買いに行く?」

映画館で映画なんて、もう随分と観ていない。
家で見るDVDじゃなく、たまにはポップコーン片手に映画鑑賞も悪くかないかな。

聡太に逢うわけでもないのに、おしゃれをしてお気に入りのヒールを履いた。
それでも、カツカツと地面を蹴って歩けば、なんとなく気分も上がってくるというもの。

賑わう街に出て洋服やバッグを見て歩く。
慣れない雑踏にちょっと疲れて、少しの溜息。

聡太と一緒なら、雑踏だって疲れたりしなかったんだろうな。

観たい映画が始まる時間までまだ余裕もあるし、コーヒーショップに足を向け、表を眺めながらコーヒーを飲んでいるとメッセージが届いた。

【 今何処? 】

短い問いかけに、街の名前を返す。

【 コーヒーでも飲んでるのか? 】

「正解」

言葉にしながらメッセージを送信。

【 俺もだ 】
「奇遇だね」

独り言のように呟きながらその言葉を打っていると、隣にストンと腰を下ろす人物に驚いた。




「河野?!」
「よう。本当に奇遇だな」

笑顔で座る彼は、アイスコーヒーのグラスをテーブルに置いて私を見る。

「なにやってんの?」
「碓氷こそ。そんなおしゃれして、デートか?」

その言葉が心臓にグサリと傷を負わせたけれど、平気な表情を取り繕った。

茶化すように言って笑う河野を見ながら。
そういえば、夜にアルコールを飲みながらふざけあうのはよくあることだけど、こんな風に休日の昼間に逢うことなんてなかったから、なんだか変な感じがするな。

「乾と待ち合わせか?」

なおも続く質問に、表情筋がやられそうだ。

「今日は、忙しいみたいなの」

わざとらしく残念そうに言ってみた。

それにしても、“今日は”なんていっている自分は、なんなんだろう。
つまらないプライドだよね。

「なんだ。今日は、寂しい独り身か」

ケタケタと笑う河野を、あえてひと睨み。

「あ……。わりぃ、わりぃ」

少しだけすまなそうにするものだから、なんだか逆に可笑しくて笑えてきてしまった。
ぷっと吹き出してクスクス笑っていると、笑ってるなんて余裕じゃないか。なんていわれた。

「余裕?」
「乾が自分のことしかみてないと思っているのか。休日に他の女と逢ってるかもなんていう考えは一ミリもないのか。それとも、乾のことをそれほど想っていないのか。なんにしろ、笑って話してる碓氷を見れば、余裕かましてるようにしか見えない」
「そんな。余裕なんて何もないよ」

私は、肩をすくめる。

距離を置きたいなんて言われて、余裕なんてあるわけない。
自信なんて、豆腐を崩すよりも簡単に粉々だ。

聡太の事は、信じている。
束縛してくれるくらいだもの、きっとまた元に戻れるって思ってる。
だけど、それが余裕かといわれたら、そうでもない。

今だって。
もしかしたら、もうこのまま聡太とは終わってしまうかもしれないと、心の中では恐々としているんだ。

そんな風に考える反面、こんな風に街に出れば、もしかしたら聡太に偶然会うかもしれないなんて、期待をもっていたりもする。
偶然なら、逢っても赦されるかもしれないなんて、浅はかなことを考えたりしてるんだ。
だから、おしゃれだってしてきたんだもの。

女々しすぎるなぁ。

にしても、聡太のことを想っていないなんて。




「そんな風に見えてるんだね。私って」
「ん?」

「彼のこと、あんまり好きそうに見えない?」
「それを俺に訊くか?」

意地悪そうに片方の口角をくっと上げる河野に、慌てて謝る。

「あ、ごめん。話しやすいから、ついいつもの感じで」
「まーいいさ。話を振ったのは俺の方だ」

河野はグラスのコーヒーを飲み、氷を口に入れてゴリゴリと砕いて食べている。

「碓氷が仕事人間だからかな。社内でもビシッとしてるから、特にそう見えるのかもな」
「河野だって、私と同じ立場ならそうするでしょ」

社内でデレデレして、仕事に支障をきたすなんて、河野からは想像もできないよ。

「どうかな。俺は、碓氷と付き合ったら、こっそり陰ではイチャイチャしたいけどな」
「っ!!!」

余りの衝撃発言に、椅子から滑り落ちそうになった。

「そんなに驚くなよ」

河野は私のリアクションに満足なようで、ゲラゲラ笑っている。

「いや。マジで。好きな相手目の前にして、毎日指くわえて平気なふりなんかできねぇだろ? 立場もあるし、それなりに自重はするけどな。でも、気持ちって誤魔化しきれないだろ。そういうのが、碓氷には感じないんだよな」

そうなんだ……。

私なりに聡太を想っていたつもりだったけれど、周りからは寧ろ薄情な感じに見えていたのかもしれない。

河野がそう感じているって事は、聡太はもっとずっと私がそんな風に想っていると感じていたかもしれないよね。

こういうのも距離を置きたい原因の一つなのかも。

仕事優先の私は、冷たい女なのかもしれないね。
それとも、私聡太のことを本当は……。

「まー、でも。この前は……」
「この前?」

「あ、いや。なんでもない」
「言いかけてやめないでよね」

言葉を濁す河野をじっと見て続きを待ってみたけれど、結局口を閉じてしまった。

「さて、俺はそろそろ行くは」
「え? もう行っちゃうの?」

一人っきりのところへやっと話し相手ができたのに、また一人になるのかと寂しくなる。

「碓氷さー。休日の昼間にそういうのやめろよ」
「え?」

そういうの?

「引き止められるようなこと言われたら、期待すんだろ」
「あ……ごめん……」

どんな顔をしていいかわからず、顔が引き攣る。

「友達と約束してんだ。時間潰しに、たまたま入った場所で碓氷に逢えてよかったよ」

空のグラスを手に河野が、じゃあな。といって席を立つ。

結局、また一人になってしまい表通りを眺める私は、さっき河野に言われた言葉が胸の中に蟠っていった。








    返品してください






更に数日が経っても、聡太の様子は相変わらずだった。

給湯室へ向かうたびに、チラチラとPOPフロアの中を覗き見するくせに、なにも行動を起こせないままのグズグズな自分。

そばにいって声を聞きたい。
距離を置くって、どのくらい?

素直に訊けない自分がもどかしい。

聡太に触れたい……。

切ない想いが嵩をましていく。



夕方。
定時が近づいてきた頃に、使ったマグを持って給湯室へ向かっていた。
聡太の姿を視界に捉えたら胸の苦しさが増してしまうから、POPフロアの前を通る時はつい足早になる。

そんな風にして、聡太のことを気にしないように、自分の中から追い出すみたいにしてやり過ごし、ぼんやりと静かな給湯室でマグを洗っていたら、突然聡太が現れた。
その姿を見て、反射的に息を呑む。

「お疲れ様です」

前と変わらない挨拶をしてくる聡太に、私だけが心臓をドクドクとさせ動揺していた。

「おつかれ……さま」

動揺しすぎて、挨拶ひとつ、スラッと出てこない。

聡太は、飲みかけの缶コーヒーの中身をシンクに捨てると、設置されているゴミ箱へと投げ捨てる。
聡太のことを目で追いながら、心の中ではいくつもの問いかけが浮んでは消えていた。

いつまで距離を置くの?
もう、沙穂って呼んでくれないの?
もしかして、本当は嫌いになっちゃった?
年上なんて、やっぱり重たい存在だよね?
このまま、何もなかったみたいに自然消滅なのかな?

だけど、問いかけは一つも口にできなくて、ただ聡太を目で追うしかできない。




「今日は、上がりですか?」

私の目を見ずに、世間話でもするような態度で聡太は私に接してくる。
やっと聞けた声だったけれど、その態度が物凄く寂しくて、切なくなった。

「……うん」

言葉少なに応えるのが精一杯だった。
何か言えば、もっと辛くなる気がして口を閉ざしてしまう。

だって、なんだかとても遠く感じるんだ。
まるで他人みたいな態度の聡太に、心臓が冷えていく。

このまま冷たくなって凍りつき、止まってしまえばいいのに。
聡太に反応する心臓なんて、要らないよ。

泣き出しそうな瞳を見られたくなくて、足早に俯き出口へ向かう。

「お疲れ様」

感情を殺し、抑揚なく言って廊下へ出た。
呼び止める声も、後を追ってくる気配もない冷たい廊下を、うな垂れるようにしてフロアへと戻った。

距離を置きたいなんていっていたけれど、もうお終いかもしれない。
あんな話し方をされるようじゃ、希望なんて少しも持てない。
いっそ、別れたいって言ってくれたほうが、ずっとすっきりするのに。

それとも、私から終わりにするのを待ってるの?
だとしたら、それって結構意地悪だよ?

自嘲気味に笑ってみたけれど、涙が滲むだけだった。

デスクに戻り、溜息交じりにPCの電源を落としていたら、河野が戻ってきた。

「おつかれ~」
「おつかれさま」

河野は、私の力ない挨拶に気づくこともない。
聡太とのことで変に気を遣われるのも気が引けるからそのほうがいいけれど、弱い心が慰めて欲しいと、優しさを求めてもいた。

「もう帰るのか?」
「うん……」

気持ちが表情に出ていたんだろうか、返事をした私を見て河野が眉根を下げた。
河野の表情に気づいた私は、慌てて表情を引き締める。

河野だからこそ、言えない事があるんじゃない。
しっかりしなよ、私。

「碓氷、ちょっとだけいいか?」

落ち込んでいるのを悟られないように、なるべく笑顔をで問い返す。

「何?」
「あ、いや。ここじゃなくて、……倉庫。倉庫に来てくれ」
「倉庫?」

首をかしげると、先に行ってる、と河野がフロアを出て行った。

なんだろ? 店舗に出す商品で何か問題でもあったのかな?

倉庫と聞いて、瞬時に脳内が仕事モードに変わった。
そんな自分の仕事人間ぶりに、少しだけ救われていた。




倉庫のドアを開けると、誇り臭さが一気に押し寄せてくる。
それを掻い潜るように、商品の詰まる棚の間を抜け奥に進むと河野の姿が見えた。

「河野」

声をかけると、なんだかとても真剣な顔でこちらを見てくる。

もしかして、何かやらかした?
けど、河野がやらかすって、相当だよね。
じゃあ、なに?

近づいて行くと、突然に「すまんっ」と頭を下げられ面食らう。

何がどう、すまん。なのか解らなくて、何も言えずに戸惑っていたら。
恐る恐るというように顔を上げた河野が、すまなそうな口調で話し出した。

「渡した指輪。返してもらえないか」

頭を上げた河野だけれど、申し訳ない。と再び地面に向かって頭を下げた。

指輪といわれて、瞬時にあのキラキラと輝く石が浮んだ。
渡された時には目の前ではずせなかった指輪も、今ではどうしていいのかわからずに引き出しの奥で眠っていた。

いくら河野が持っていて欲しいといっても、つけることを憚るなら、そこに想いはない。
解っていたのに、いつまでも返さず持っていた自分の方が河野に謝るべきなんだ。

「頭を上げてよ。私こそ、いつまでも持っていて、ごめんなさい」

頭を下げると、謝るなよ。と河野が寂しげに呟いた。

「言ったろ。ズルイやり方をしたのは、俺の方なんだ。碓氷が謝ることなんか、いっこもない」

言い切る河野の瞳は力強く、自分の中で決めた思いと真っ直ぐ向きあっているような瞳だった。

「この前、休みの日に碓氷と逢っただろ? あの日、あのあと友達と逢って碓氷とのことを相談したんだ」

話を聞くと。
どうやら、河野はその友達に、早まったことをしたと、きつく咎められたらしい。

「相手に、プレッシャーかけすぎだって怒られたよ」

そんな風に言われても、私が受け取ってしまったのは事実だから、どんな顔をしていいか解らない。

「それに、碓氷とコーヒー飲みながら話をしてて、気がついたんだよな」
「なにに?」
「なんていうか。お前の生き方? みたいなのにさ」

生き方?
なんか、随分と大そうなことを言われている気がする。




「店で会った時は、あんな風に言ったけど。碓氷は、平然と仕事をしながらも、ちゃんと乾を好きなんだろうなってさ」

聡太を好きなようには感じられない、ていっていたことか。

「いつも碓氷は真面目だろ。まー、上にいる人間なんだから、そんなのは当然の話なんだけどな。けど、碓氷が乾を見るときの目は、やっぱ俺を見てるときとは違うんだよな」

棚の一つに寄りかかる河野は、力なく零す。

「無理やりキスしたり。指輪買ってみたり。挙句その指輪を無理やり貰ってくれなんて言ったと思えば、はめてくれなんて。冷静に考えてみれば、随分と横暴な話だよ。乾に若気の至りなんていったけど、んなもん、お前が言うなって話だ」

自嘲気味に笑う河野の瞳は悲しげだ。

「最近、POPフロアの前を通るたびに乾のこと見てるだろ?」

言われて、ドキッとする。
あの瞬間を見られているとは、思っていなかった。

距離を置かれた寂しい気持ちで、フロアの中にいる聡太を見ていた未練がましい姿に気づかれていたかと思うと、恥ずかしさで一杯になっていった。

「アイツと、なんかあったのか?」

訊かれて口篭ると、無理には訊かないよ、と小さく呟く。

「話を戻すが。結婚を望んでいる碓氷のことだから、俺の方が絶対に合う。なんて、勝手に自信もって。しかも、あんなガキになんか持ってかれてたまるかよ、何てことも思ってた自分が今は恥ずかしいよ」

手持ち無沙汰のように、スーツの内ポケットにしまってあった煙草を取り出し手に握る。
けれど、倉庫が禁煙なのは解っているから、その煙草は手の中に収めたまま。
ただそれを弄ぶようにしているだけ。

「この年になって。……いや。この年だからだな。人生経験も少ないガキが、碓氷を幸せになんかできるはずないって。根拠のない自信に支配されてたんだ」

いつも冷静で、物事の先まで考えて行動するタイプの河野が、気持ち優先でそんなことを思っていたなんて。

「なわけで。今回の一件で、俺は色々と学習をしたわけだ」

そういって、顔を上げた河野が私を見る。

「横槍入れるのは、もうやめる。乾と結婚するもしないも碓氷がきめることだよな。外野が何を言ったところで、鬱陶しいだけのことだ。まー、早くしないと高齢出産は大変とだけ言っておくけどな」

最後のセリフのあとに、河野がケタケタと声を上げる。

「もうっ」

わざと笑わせようとしてくれる河野に感謝しながら、私もその冗談にのって少し笑った。

「色々引っ掻き回して、悪かったな」

しんみりとした口調の河野に、私は首を横に振った。

そんなことない。
寧ろ、こんな風に自分のことを想ってくれた事が嬉しいくらいだ。
気持ちに応える事はできなかったけれど、私にとって河野という存在の大きさはずっとこの先も変わらないといいきれる。

「同士だからね。赦してあげる」

上目線でわざと言ってみたら、なんだとー。と笑いながら小突かれた。
河野とは、こんな風にいつだって笑いあえるいい仲間でいたい。

「しっかり捉まえておかないと。若気の至りでした、なんてことになっちまうぞ」

何も知らない河野から、カウンターの一撃が飛んできた。
しゃれにならないセリフに心臓が痛い。
それでも、目の前で笑顔を見せてくれる河野のおかげで、泣きそうになる事はなかった。

「ありがと」

片手を上げて、先に倉庫を出て行く河野の背中に私は頭を下げて見送った。







     向き合う





倉庫から戻り、廊下を行く。
少し先に見えたPOPフロアからは既に明かりがなかった。

帰っちゃったか。

一瞬肩を落としたけれど、直ぐに気持ちを切り替え、デスクに置きっ放しにしていたバッグを手に駅を目指した。

給湯室で逢ってから、それほど時間は経っていない。

そう考えてから、さっきかわした感情の篭らない聡太の言葉が胸に痛みを呼ぶ。
けれど、めげている場合じゃない。

ギュッと唇を引き結び、うまくいけば駅に着くまでに捉まえられるかもしれない。
と前向きな考えに持っていく。

会社を出れば、真っ暗な空が重く圧し掛かってくるみたいだ。
その重みを背負いながら、ヒールを操り、足早に駅までの道を行く。

通りは意外と人が多く、ぶつからないようにとそれに気を取られていたら、僅かにできた道路のくぼみにヒールが引っかかり、危なく転びそうになった。
バランスを崩して躓き、コンクリートに手をついたけれど、倉庫で転んだ時のようにどこか打ったり傷を作らなくて済んだ。

もう、助けてくれる人はいない。
自分の足で立ち上がって、自分で何とかしなくちゃ。

パンパンと手を払いながら。
膝を擦りむいた時、聡太ってば凄く心配してくれたな、なんてことを思い出す。
あの時はまだ彼の気持ちも知らなくて、膝の擦り傷を見られることがとても恥ずかしかったんだよね。

こんな時なのに、思い出したことに不意に笑みが漏れる。

そんな風に自然と浮んだ自分の表情で、気持ちが確かになっていった。
彼のことを考えて浮ぶ笑顔に、答えはしっかりと出ている。

距離を置きたいなんていわれてグズグスしていたなんて、馬鹿みたい。
何も言えずにだんまりを決め込んでないで、イヤだって言えばいよかったんだよ。
逢えないなんて、嫌だってはっきり言えばよかったんだ。

恐いものなんて、この年になれば何もない。
元々お一人様だったのだから、当たって砕けたところで元に戻るだけ。
傷つきはするだろうけれど、その時には長年の同士にお酒を付き合ってもらえばいい。
そうして、散々飲んだら次の日にはケロッとして、残業でも何でも、とことんこなしてみせるんだ。

そう、それが私じゃない。




カツカツと急ぐ足に反して、聡太の姿は見当たらない。

給湯室から、そんなに時間が経っちゃってたかな。
それとも、もう、電車に乗っちゃった?

少し不安になりながらも、駅に駆け込み、改札をくぐる。
階段を駆け下り、ホームを目指しながらも聡太の姿がないかと視線を走らせる。

キョロキョロと姿を探していると、ホームに電車が来た。
そこで、聡太を発見。

いつも通り、鞄も何も持たずに手ぶらで乗り込んで行く姿を少し先でみつけて追いかける。

ドアが閉まるギリギリ。
飛び乗った私に、ドア付近にいた人が驚いた。
その人たちに、ごめんなさい。と頭を下げながら、車内に乗り込んだはずの聡太の姿を探した。

電車に飛び乗り車内を少しざわつかせた私だけれど、そんなことなど聡太は気にもとめていないようで、少し奥のつり革につかまって窓の外を眺めているみたいだった。

車内はそこそこの混み具合で、本当なら聡太の近くまで行きたいところだけれど、さっき周囲に迷惑をかけたばかりの私はその場にじっとしているしかない。

ドア付近から、こちらに背を向けて立つ聡太を窺い見る。
すっと伸びた背筋と、つり革に掴まる手が私の心をキュンとさせた。

あの手に、もうずっと触れられていない。
突然抱きしめてきたり、キスをしてきたり。
かと思えば、壊れ物でも扱うみたいに、そっと触れてくる。

絵を描く繊細な指先で、また私に触れて欲しい。
力強く抱きしめて欲しい。
淹れたコーヒーに、美味しいといって目を細め、おでこをくっけて欲しい。

沙穂。
そう、呼んでよ。

切なくなる気持ちを堪えながら近くにいけないもどかしさを抱えていると、聡太がようやく動き出した。
電車のドアが開き、聡太が降りる背中を追う。

あれ?
ここ、うちの最寄り駅だ。
聡太の家がある最寄り駅は、もう少し先なのに。

不思議に思いながらも、人の波をかき分け追いかけると、改札を出て少し行った先で聡太の姿を見つけた。
私は立ち止まり、一つ大きく深呼吸をする。

気持ちは決まっている。
伝えたいことも、決まっている。

ダメならダメで仕方ない。
撃沈したとしても、すっぱり諦めよう。

なんて、今は思っていても、あとからジワジワやられるかもなぁ。

弱気になりながらも、もう一度深呼吸をして聡太の背中を追いかけた。