物心ついた頃にはピアノを習い始めていた。



母に連れられて、教室に通った。

僕が先生にほめられると、母は自分のこと以上に喜び、満ち足りた顔になる。

その顔が見たくて、僕はピアノを弾き続けた。



僕の記憶の中にあるのは、ピアノ教室へと続く長い石畳の階段。



じりじりと日差しが照りつけるような暑い夏の午後、日傘を差した母と二人、僕は黙ったまま、その階段を一歩一歩登りつめた。

母の横顔を見上げると、その白い顔は汗一つかいていない。

こんなに暑いのは僕だけなのかもしれない、とがっかりしたことがまるで昨日のように思い出される。



背中の方で蝉がじいじい鳴いている。


母はいつも思いつめたような表情をしていた。

未来を拒絶したかのように、何も期待しないし、何も失望しない。

そうやって自分を守っているかのようだった。



幼いなりにも母の心中を察し、僕は黙って母に寄り添っていた。