薫子様、一大事でございます!


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たくさん描き上げた絵を立って眺める。


芸術的センスが全く感じられない絵の数々。

それは、逆に壮観だった。


「どんぐりの背くらべってやつだな」

「ほんとですね」


どっちが上手いかなんて、争えるレベルにすら達していない。


私たちは顔を見合わせて笑った。


そういえば……。

夢中になってお絵かきなんてしていたけれど、芙美さんと滝山はどこへ行ったのかしら。


家の方を見てみても、いるような気配がしない。


……どうしたのかな。


目を庭へと戻す途中で、不意にぶつかった北見さんの視線。


……ん? なんだろう。


小首を傾げると、北見さんはフッとその視線を外して


「似合ってる」


ボソッと呟いた。


「……はい?」

「浴衣だよ」

「えっ……」


思いもよらないセリフが、私から言葉を奪った。


「……綺麗だ」


一瞬のうちに顔に火の手が上がる。

耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かった。


「帰るぞ」


北見さんが歩き出す。


「えっ、でも……」


芙美さんと滝山がまだ……。


「いいんだよ。二人の策略だ」


……策略?

一体何の?


立ち止まったままの私の元に、北見さんが戻ってくる。


そして、サッと取られた手。


――え!?


北見さんは、私の手を引いて歩き出したのだった。


「浴衣着てるんだし、せっかくだから少し散歩でもするか」


こっそり見上げた北見さんの横顔は、私の見間違いかほんのり赤かった。



「ホームページを見たのですが……」


事務所のドアを数センチほど開けて、男の人が隙間から顔を覗かせた。


ホームページという言葉に、北見さんが即座に反応する。

私と目が合った北見さんは、嬉しさを堪えるような顔をした。


そして、滝山よりも、私よりも早く立ち上がり、ドアを全開にしてその人を迎え入れたのだった。



「こちらへどうぞ」


応接セットへ案内すると、北見さんは向かい合って腰を下ろした。

私が出した麦茶を一気に流し込むと


「何でも承りますってホームページには書いてありましたが、それって本当ですか?」


早口でまくし立てる。


「法に触れないことが前提ですが、あとはお話を伺ってみないことには……」


一体どんな依頼をするつもりなんだろう。

相手を北見さんにお任せして、私はデスクからその様子を眺めていた。


「法律には触れないと思います」

「どのような依頼を?」


訊ねた北見さんに、その男性は意を決したように言うのだった。


「恋人になってもらいたいんです」

「……はい?」


恋人に……なる……?


滝山も北見さんも、私も何のことかと口をポカンと開けた。


「あの……それはどういうことでしょうか?」


「あ、もちろん、本当の恋人ということじゃないです」

「……では、」

「恋人のフリをしてもらいたいんです」

「フリ、ですか」


頷きながらも、北見さんの視線は何かを考えるように宙を舞った。



彼の名前は、早川慎吾。
32歳。


背もそこそこ高くて、全身から溢れるのは爽やかなオーラ。

真面目そうだし、恋人が出来なくて困るようには見えないけれど、事実困っているそうだ。


最近、久しぶりに連絡を取り合った大学時代の友人に、つい見栄を張って“彼女がいる”と言ってしまったそうで。

その友人と、近々彼女同伴で会う約束をしてしまったらしい。


今更、あれは嘘でしたと白状することも、プライドが邪魔してできず。

かといって、周りに恋人のフリを頼める女友達もいない。


そこで、たまたま辿り着いたのが、ここ、二階堂探偵事務所だったということだった。



「……早川さん、大変申し訳ないんですが、その依頼をお受けすることはできません」

「え? でも、法に触れないですよね?」

「ええ、まぁそうですが……」

「ちょっと待ってくださいよ、北見さん!」


黙ってデスクから眺めていた私は、北見さんのお断りの返事を聞いて、慌てて二人の前へと参上したのだった。


「どうして断るんですか?」

「どうしてって……。恋人のフリって、誰がやるんだよ」


北見さんが小声で私に問う。


「誰って……」


この事務所にその役を担える人物は、ただ一人だけ。


……私だわ。


「カコちゃんにできるのか?」


そう問いただされてしまうと、何も言い返せなくなる。


恋愛の“れの字”も知らない私。

そんな私が、フリなんて高等技術を使えるとは思えない。


恋愛経験がないことまで話したことはなくても、北見さんもどこかでそんな匂いを嗅ぎ取っていたのかもしれない。

だからそんなことを聞くのかもしれない。


――でも。
だからと言って、せっかく入った依頼を断るなんて。


仕事を選り好みしている場合じゃない。


星野さんの件以降入った依頼といえば、ペットの捜索が2件のみ。


北見さんがいたおかげで、その2件も無事に解決できたけれど、そろそろ私だって探偵事務所の代表としての実績が積みたい。


この案件は、滝山でも北見さんでもない、私にしか出来ないことなのだから。



「私にだって、そのくらいのことできます」


大見得を張ってしまった。


「……本気なのか?」


北見さんが確認するように、ひと言ずつゆっくりと私に訊ねる。


ここで覆すわけにはいかない。


「はい」


大きい声で頷く。