何億年にも亘って生きてきた、尊敬すべき生物だというのに。
「希少価値!? そんなものあったもんかい! あれはこの世に必要のないものなのさ。食物連鎖にも何にも引っかからない、存在価値のないもの」
「……そう、なんですか?」
「1匹見かけたら、60匹いると思え、と言われるくらい繁殖力も生命力も強いヤツなのさ。あー、考えただけでゾッとする」
芙美さんは両腕で自分を抱えるようにして、首をぶるぶると振った。
その振動でギィギィと小さく音を立てたソファ。
「おやまぁ、このソファもそろそろ引退時じゃないのかい?」
芙美さんはかがみ込んで、動くたびにギィと鳴くソファの足を覗いた。
「まだまだ十分使えますよ。ほら、並んで座ったって、折れたりしないでしょう?」
芙美さんの隣に勢いよく腰掛けて笑って見せる。
ギィとひと際大きな音を立てたものの、立派にその役目を果たしていた。
古そうに見えて、元々良い品物だったのかもしれない。
「そうだけどねぇ……」
余計なところにお金を使っている場合ではないのだ。
逃げてきた身。
世間知らずだと滝山からは言われるけれど、無駄遣いができないことくらいは、この私にだって分かっていた。
だから、この事務所内にあるものは、ほとんどのものがリサイクルショップで見つけたものだった。
応接セットに事務用のデスク2台、小さな食器棚にコートハンガー、パソコンやプリンタだって、廃棄処分寸前のものを見つけてきたのだ。
「リサイクルものだって、磨けば綺麗になりますよ」
滝山の言葉通り、革張りのソファは見違えるほど綺麗になったし、デスクだって傷に目を瞑ればピカピカだ。
多少、引き出しの開けにくさはあるけれど、十分に使える。
贅沢は言っていられない。
そして、私と滝山の部屋の家具は、芙美さんの息子さんと娘さんが以前使っていたものを譲ってもらったものだった。
「使い古しで悪いけど」
申し訳なさそうに芙美さんは言うけれど、私たちには本当にありがたかった。
「薫子ちゃんは健気だねぇ」
芙美さんがしみじみ呟く。
「だからつい応援したくなっちゃうんだよね」
「芙美さんがいてくれると心強いです」
「そう言ってもらえると、俄然張り切っちゃうわ」
右腕を振り上げて、握りこぶしを作ってみせる。
鬼に金棒どころじゃない。
それが本当に頼もしくて、芙美さんと一緒に笑った。
「それでは行くといたしましょうか」
午後8時。
滝山と二人、モモちゃんを探すべく事務所を後にした。
犬も猫も亀も、今まで捜索依頼のあった動物は、ことごとく見つけられなかったけれど、ここらでそろそろ実績を作っておかないとどうにもやりきれない。
モモちゃんの捕獲は、私たち二人の切なる願いだった。
猫は夜行性。
探すならば、活動的な夜だろう。
滝山の判断に従い、夜の中へと足を進める。
けれど、いつものごとく、どこをどう探したらいいのか、まったく見当もつかないのだった。
「モモちゃーん」
なんとはなしに名前を呼んでみたところで、返事をしてくれるわけもなく。
夕食時を過ぎた住宅街は、静かな時間を迎えつつあった。
「……どうしよう、滝山。やっぱり見つけられないのかしら」
「そうですねぇ……どうにかなると思ったのは、間違いだったのでしょうかね」
出てくるのは弱気な言葉ばかり。
歩く足取りもどんどん重くなっていく。
迫る闇が、更に私たちを追い込んだ。
「……やはり、薫子様はだんな様の言いつけ通りになさった方がよかったのかもしれませんね」
「そんな! それは絶対無理よ!」
突如出て来た滝山の言葉に、つい拒絶反応を示した。
弱音を先に吐いたのは私だけれど、それだけは絶対にイヤなのだ。
「DCHなんて、考えられないもの!」
「……DCH、でございますか?」
滝山は何のことかと首を傾げた。
「デブでチビでハゲのこと」
「はい……?」
「だからね、デブのD、チビのC、ハゲのHなの。滝山は私をそんな人のお嫁さんにしたいの?」
「いえ、決してそういうつもりでは……。ただ、」
「ただ、なぁに?」
「そうしていれば、薫子様は今まで通り何不自由なく暮らせていけたのではないかと思うと、不憫でならないのです。それに、だんな様と奥様だって……」
滝山は声を詰まらせた。
そんなことを言ったって、こうなってしまった以上、もうどうしようもない。
それに、いくら二階堂家の存続がかかっていたとしても、政略結婚だなんて、それが好きでもない相手とだなんて、首を縦に振れるはずがない。
しかも、よ。
それが、DCHだというのだから。
恋愛経験が皆無の私の最初の恋のお相手がそんな人だなんて、夢も希望もあったものじゃない。
何度も恋愛を重ねた上で、男性は容姿じゃない、性格が第一だと悟れた後ならまだしも。
恋をするなら素敵な人と。
そう願ったっていいんじゃないかしら。
そうね……
例えば、映画に出てくるようなヒーローみたいな人がいいな。
窮地を救ってくれる、頼もしい男の人。
ところが……
そんな人との巡り合いどころか、男の人と出会う機会すらなかった私。
27歳にもなって、恋愛経験がないのかと呆れられるかもしれないけれど、俗に言う箱入り娘で育ってしまった私には、「悪い虫がついてはならない」というお父様の監視があまりにも徹底していたからなのだった。
小学校から大学まで一貫して女子校。
同年代の男の人と接する機会なんてものは、ないに等しかった。
それもこれも、二階堂家とお父様が経営する住宅メーカーの株式会社NIKAIDOHを存続させるためだった。
株式会社NIKAIDOH――。
住宅に関する、ある特許は世界でも通用するもので、大企業とまではいかなくても、世界に名を知られた会社だ。
ところがある時、更に大きな住宅メーカーである常盤ハウジングが、NIKAIDOHの株主たちをそそのかして、乗っ取りを企てたのだ。
ちょうどその頃、どこかで私を見初めた常盤ハウジングの御曹司が、ぜひとも私を妻として迎え入れたいとお父様に懇願していたらしい。
そして、もしもそれを飲めば、NIKAIDOHの買収は諦めると提案したのだった。
その御曹司こそが、DCH、デブでチビでハゲの男だ。
お父様がそんな話を受け入れるはずがない。
姑息な手段を使うような男に、愛娘をやすやすと手渡すわけがない。
そう思ったのは、私の見当違いだった。
お父様は喜んでその話を受け入れたのだった。
お父様にとって、一番はNIKAIDOH。
私は二の次だったのだ。
だからといって、はい、そうですかと、DCHと結婚するわけにはいかない。
私にだって、恋に対する夢と理想があるのだから。
そこである夜、逃亡を決行。
一人で行方を眩ませる予定が、執事の滝山に見つかり、私に同情した滝山と二人で二階堂家を脱出したのだった。
それからしばらく経ったある日、テレビのニュースでNIKAIDOHが買収されたことを知った。