いつもどおり、バイトに行った。
その日は、奇しくも期末試験後の最初の勤務だった。

穏やかな夕方。
客入りも良好。

そんな日だった。

しかし、それは突然、起こったのだった。

……ドサッ。

何かが倒れる音ともに、あがる悲鳴。

向かいの席の母親は、顔を真っ青にしながら取り乱し、しどろもどろしている。

「どうしました?」

倒れているのは小学生に上がったか上がっていないくらいの男の子だろうか。

意識が朦朧とし、呼吸も苦しそうで、全身に赤い発疹が出来ている。

……食物アレルギーか。
恐れていたことが、起きてしまったようだ。

「拓実くん、心臓マッサージ。

店長は、店を出てすぐ向かいの自販機にあるAEDをお願いします!」

的確に周囲の人に指示をしながら、私は足を高く挙げさせるとともに、身体を横向きにする。

万が一嘔吐した際に吐瀉物が詰まって気道を塞ぐのを防ぐためだ。

「ドクターヘリないしは救急車をお願いできますか?
6歳小児、アナフィラキシーショックの疑いが濃厚。
食物アレルギーかと思われます」

チアノーゼも出てきている。

迅速に処置をしないと、助かる命も助からないだろう。

拓実くんの叫びにも似た悲痛な声が響く。

「心臓マッサージ、反応なし!
AEDを頼む!」

それから、何分が経っただろうか。
救急車のサイレンが止まったと思ったら、
白い帽子を被った救急隊が、慌ただしく入ってきては、私達に会釈をした。

男の子を慣れた手付きで担架に乗せた。

その担架は、救急車に見る見るうちに吸い込まれていった。

それを悲痛な面持ちで見送っていると、バックヤードから、素っ頓狂な怒鳴り声が聞こえた。

店長の声だ。

「ふざけるな!
体調が悪くてボーッとしていただと!
言い訳になるものか!
客の命が1人失われるか否かの瀬戸際なんだぞ!

ウチはどこよりも丁寧なアレルギー対応がウリだろう、それを自ら潰してどうする!」

オーナーの雷は、私たちをビックリさせると同時に、店内にいる客に不信感を抱かせるには、十分だった。

カウンターもテーブルも埋まるくらいだったお客は、次々に席を立って帰り支度を始める。

私も、慣れない手付きで伝票を受け取り、
客の会計を済ませていく。

見かねた拓実くんと、先程救急車を呼ぶように電話をしてくれた女の子がヘルプに入ってくれたことで、ようやく客を捌くことができた。

それから、静まり返った店内で店長から、驚くべき事実を聞いた。

バイトの女の子が、体調不良でボーッとしていたようだ。
先程店内で倒れた男の子のお子様ランチ。
それを、あろうことかオムライスを作ったフライパンと同じもので調理していたらしい。

先程の男の子は、卵アレルギーだったのだ。


店長は、カウンター席に座り込むなり頭を抱えた。

「これで、ウチの店の評判はガタ落ちだ。
保健所も調査に来るだろう。

そして何より、あの男の子が無事だったとしても、だ。
損害賠償と慰謝料を払わなければならない。

万が一、亡くなるようなことがあったら。
裁判を起こされるかもしれない。

この店は火の車だ。

せっかく、君たちを雇ったばかりだったのに。
店を去ってもらわないとならないかもしれない。

……すまないね、君たち」

店長の声はどんどん小さくなっていき、
途中から涙と嗚咽に阻まれて、ほとんど聞こえなくなっていた。

その日の夜、店に病院から電話があった。

先程の男の子が、心肺停止で亡くなったそうだ。

私も、拓実も、ヘルプに入ってくれた女の子も皆で、声をあげて泣いた。

ひとしきり泣いた頃、店長がタイムカードを押すように促し、向かいの自販機でコーヒーをそれぞれに買ってくれた。

それを皆に押し付けた店長。

気をつけて帰れよとだけ促して、各々解散になった。

拓実くんは、帰る道すがらスマートフォンを取り出して、誰かに連絡を始めた。

「……俺だけど。
ちょっと、空き部屋があるようなら貸してほしいんだけどさ。

ん、ありがとう。
助かるよ」

その電話から5分もしないうちに、私達の斜め前に長い車体のリムジンが停まった。

窓からは麗眞くんのお姉さん、彩さんが顔を出していた。彼女の執事が乗るように促してくれた。

向かった先は、もちろん麗眞くんの家。

広いリビングに通されると、深月や華恋、椎菜や秋山くんなど、見知った顔が勢揃いしていた。