…そういう事か。

アメリカに来てからこの手の妬みにはすっかり慣れていた。

この国が“サラダボウル”と呼ばれているとは言え、人種差別は少なからずまだある。

それは学校も同じで、まして生徒達はクォーターという微妙な立ち位置の彼が飛び級したことを快く思ってはいない。

祖父は孫に何人もの家庭教師を付けていたし、彼も必死に勉強に励んだ。

但し、それは医者になる為ではなく 免許を取り次第亡命するためだった。

妬まれても辛くても“桐柳恒輔(恒兄)”という支えがあれば何でも乗り切れると思っていた…

それで無事帰国したら「よく頑張ったな」なんて、褒めてくれると思っていた…

なのに あの事故でその大切な人を失い、追い討ちをかけるように四面楚歌な学生生活。

マイナスな思いで心が淀んでいた。