だから口紅はその作戦です、といつもの落ち着いた声でそう言った。
襟元に指をかけて私に見せる。
茶目っ気たっぷりに笑うが、私には小悪魔に見えるその笑顔。
それを呆然と見つめていると、彼が急に立ち上がる。
「とりあえず、帰りましょう。」
彼のいう"帰る"は、一体どこを指しているのだろう。
そんなことを考えているうちに、私の右手が取られる。
「ちょっと、手、」
「え?これくらいもダメですか?」
「だってここ会社だし。」
じゃあ会社出たらですね、とさらりと言う彼に目眩がした。
何がどうなっているのだろう。
二十七歳、神崎美和。
男に捨てられた、一週間後。まさかの後輩に告白されました。
荷物をまとめ軽快に扉の方へ向かうと、彼は扉の前でくるっと体を反転させる。
「神崎さん、早く。」
そんな彼を見つめて、これでいいのか、と思いとどまる。
が、私の足は自然と動いていた。
その事実に驚き、でもどこか心のなかで、これでいいのかもしれないと思っている自分もいる。
彼の元へたどり着いた私を満足そうに見下ろすと、
「よし、じゃあ"帰りましょうか"。」
そう言って、扉を開ける。
あぁ、これからどうなるのだろう、という気持ちの影に隠しきれないドキドキを隠して、
私は彼の背中を追った。
Fin.