「じゃあ、行くよ? 私は、外でスタンバイしているから、ワゴンのコーヒーをお配りしたら、また外に出て来てね。いい? わかった? OK?」

「わかりました」

「よし、いい子」





頼みの綱は、このバイトだ。葵は必死だった。

コーヒーを持って行くだけなのに覚悟を決めて最後の戦いにでもいくような決心の言葉を言う。

ドアをノックして返事を待つ。





「はい」

「コーヒーをお持ちしました」





声でも葵だと分かってしまう恐れがある。なにもかもバイトにさせる。





「ああ、それぞれにお願いします」

「畏まりました」





ドアを開けたのは第二秘書だろうか。それとも、ドア近くにいた重役だろうか。そんなことはどうでもよく早く置いて帰りたかった。隠れるところはどこもない廊下で、葵は必死で身体を小さくしている。





「お願いね」

「はい」





チラリの辺りを見回せば、書類を持って社員に囲まれている仁の姿があった。

長い脚を横に出して組み、書類を片手に持って、考えこんでいる様子だ。初めてみる仁の仕事姿に葵はときめきを覚えた。





「バカ、なに考えてるのよ」





何度も葵が確認をしてしまった為か、バイトは緊張しているようで、顔が緊張して、手が若干震えている。





「早く配ってよ~、お願いよ~」





中の様子を見ることが出来ず、廊下で手を擦りあわせて足ふみしている。落ち着いていられないのだ。

暫くすると、空のワゴンを押してバイトが出てきた。





「さすが! やるじゃない。さ、次よ、次」

「もう、何で立花さんじゃないんですかあ」

「いいじゃない、好きな物を奢ってあげるから、頑張って!」





バイトも緊張しているらしく、文句たらたらだ。しかし、もうここは神頼み、いや、バイト頼みしか方法はないのだ。背中をパンパンと叩く。





「絶対ですよ、奢って下さいよ」

「まかせて」





葵はどんと自分の胸を叩いた。

あとは、無事にバイトが会議室から出てくればいいだけだ。まだ安心は出来ないと、葵の顔が言っていた。





「立花さん、ナフキンを」





バイトは、廊下で待つ葵に、会議室から出るまでに名前を呼んでしまったのだ。





「バカ、ドアを閉めて呼んでよ~」





やはり安心が出来なかった。想定外のことが起こった。





「え? なんでです?」





当然の疑問だ。





「いいから、ほらナフキン。コーヒーのおかわり分を用意してくるから、後をお願い、任せたわ、ね?」

「は、はい」





半ば押し付けるようにワゴンを渡すと、葵は、早足でその場を立ち去った。





「絶対に名前を聞かれた、いや、聞こえないよね? いや、聞こえるよ~」





自分を安心させるように言い聞かせると、早足から、走るに速度は変っていた。





「もう、何で走っちゃいけないのよ」





ホテル内は細かく決め事があり、その中に走ることも禁じられていた。

裏口のドアに手を掛けた時、背後から声をかけられる。葵は、硬直し、立ちすくんだ。

その声はまさに仁だった。