葵は通常の業務をこなしていたが、フロアに出る時には、警戒をしていた。





「もう、いやになっちゃう」





警戒のしすぎで、神経がすり減っている。

しかし、ふと思う。葵は仁がここに来ていることを知っているが、仁は知らないはずだ。





「そうよね、ただの偶然なんだから。忙しい人だし、海に出たりすることもない。きっと部屋に籠って仕事をするはずよね。名波商事一行に近寄らなければ、会う事もないわ」





誰に確認するわけでもなく、独り言で確認をする。事務室には数人のスタッフが、小休憩をしていた。





「お疲れ様あ」





仁と潤を監視している女性スタッフが事務室に入ってくる。





「お疲れ。ねえ、名波商事様は会議のあと、お休みになられて、6時からご夕食よね? レストランで」





葵は、確認作業を怠らない。スケジュールを見ながら再確認した。これも全て自分の為だ。





「そうよ、お食事が終わられたら、もう自由時間で明日の午前から始まる会議までは何もないわ。まあ、スタッフは何かと忙しいと思うけど?」

「結構大変ね、これだけ人数がいると」

「そうね、でも副社長についていらっしゃる秘書の方は、私達に気を使って下さっているわよ」

「そう」





潤のことだとすぐに分かった。最後に会えば良かったかと思った人物だった。パリの出来事依頼、何かと気にかけていた。そんな潤に連絡もせずに離れて行ってしまったことが、申し訳なく思っていることだ。

葵は、仁のみならず、潤までも警戒しなくてはならなかった。まだ始まったばかりだが、すっかり神経をすり減らし疲れていた。





「会議が終わられました。皆様はお部屋に戻られて、休憩をされるそうです。ご夕食の時間はお伝えしてありますが、ルームサービスなどフロントに御用があるかも知れません。直ぐに対応が出来るよう、各自気をつけて下さい」

「はい」





束の間の休憩をしていると、支配人が報告に来る。

会議室の片付けに行くメンバー、夕食の最終チェックをするメンバーに分かれる。





「ねえ、立花さんこれから休憩よね? その前に会議室にコーヒーをお持ちするのを手伝ってくれる?」





ばらばらに散って行くスタッフとは反対に、葵に向かって歩いてくる同僚のスタッフが声をかける。





「え? 会議は終わったんじゃなかったの?」

「会議は終わったんだけど、まだ残っていらっしゃってコーヒーをご所望なの。他のスタッフは夕食の準備で出払っちゃっているから頼めるのは立花さんしかいないのよ」

「えー!?」

「な、なによ。そんなに驚くこと?」

「い、いやあ、別に? ねえ、私一人?」

「まさか、バイト君を一人回すわ」

「わかった……」





なんでこんなことになったのだろう。日頃の行いはいい筈だ。仁の引き寄せる力がつよいのだろうか。葵はがっくりと肩を落とした。





「じゃあ、ワゴンでカップとコーヒーをいれて、それぞれの前にお出しする。カップより奥にミルクとシュガーを置く。出来るよね?」

「わかりました」





会議室の前に荷台のワゴンを押して、バイトと打ち合わせをする。葵が任されていることをバイトに頼むのだ。配膳の仕方から、立ち居振る舞いを必死に教え込む。返事はいいが、本当に出来るのだろうかと、不安顔だ。