「記憶って。……俺が知ってる妃香里は」


一人で喫茶店に来るのが平気で、真面目で努力家。

口調はのんびりしていて、いつも笑ってたけど本当に楽しそうではなくて。
あ、コイツ今は楽しそうだなって思ったのは……


「珈琲だ。珈琲を入れてやった時」


喫茶の常連だった彼女は、その湯気に包まれている時だけは肩の力をぬいているようだった。


「珈琲ならさっき飲みましたけどね」

「熱いやつだよ。湯気。コイツはいつだって湯気と香りを楽しんでた」

「じゃあ早くいれてください。僕が何とか抑えてますから」


言われて、コンロに向かう。
彼女好みの珈琲を入れながら、ふと、ヨミが買い集めていたフレーバーに目がいく。

そうだ。
珈琲だけじゃなくて。

彼女が一番嬉しそうだったのは。


見ると、ヨミが何やら呪文を唱えている。
念仏なのかな。よくわからん。

俺は淹れたての珈琲を彼女の前に出した。

ふわりと広がる香ばしい香りと、甘い香り。


妃香里がまばたきをする。
黒い靄は依然妃香里を包んだままだけれど、瞳は正気を取り戻したように見える。


「……チョコレート」

「そうだ。妃香里、好きだったよな。チョコレートケーキ。月に一度必ず頼んでたじゃん。俺、あれは自分へのご褒美なんだろうなって思ってた」