お弁当も空になった頃、帰る準備をしていると、近くを走り回っていた颯太の姿が見えなくなっていた。私はあわてて辺りを見回した。


「颯太!」


颯太はいつの間にか、少し離れたベンチに座ってお弁当を食べる、サラリーマン風の男性の傍に立っていた。颯太は、彼を見上げて何か話しかけていた。



私は歩いていって、颯太を、こら、とたしなめた。

「すみません……」


男性に頭を下げると、彼はお弁当を食べる手を休めて、「いいえ」と戸惑ったようだが笑顔で手を振った。


「颯太、行くわよ」


立ち去ろうとうながすと、颯太はちょっと頬を膨らませた。


「だって、おじさんが、ぼくに『これ、何だったっけなあ。でも、美味しいなあ』って言うんだもん」



そう言われて、颯太が指差す方に目をやると、男性が広げたお弁当箱の中に、唐揚げが一個転がっていた。噛みきった跡が残っていたが、きれいに揚がった美味しそうな唐揚げだった。


「いやいや、ごめんなさい。ちょっと話しかけてみただけなんです」


男性が恐縮したように言った。私は、不審者ではないか、と彼をそれとなく観察した。


その男性は、見た目は50歳を少し超えたところ、中肉中背で、頭にはちらほらと白髪が混じっていた。背広は、スーツと言った方がよさそうな、若向きのデザインで、あまり似合っていなかった。要するに、背広の点を除けば、会社のデスクを離れて、自宅から持ってきたお弁当をもそもそ食べていたように見える、普通のおじさんだったのである。そういう人は、この公園に何人かいたし、近視らしい彼が目を細めて若い私に謝る姿に少し安心して、私は「気になさらないでください」と笑顔で返した。



「あのおじさんね、唐揚げを見ながら、『から……から……』って言うんだよ」


アパートへの帰り道、颯太は私を見上げて、秘密を教えるように、いたずらっぽく話した。


「そうなの?そして?」


「だから、ぼく、『唐揚げだ!ぼくんちの唐揚げみたいだね』って言ったんだ。そしたらおじさんが、『唐揚げね、唐揚げ』って笑ったよ」


それから、颯太はちょっと黙った。言ってもいいものかどうか迷っているようだった。


「どうしたの?」


「また、ピクニックごっこしたいな」


「楽しかったのね。ママもよ。またやろうね」


「やった!」


颯太は、二歩三歩とジャンプするように前を駆けて、アパートに入っていった。私は、ぼんやりあの男性のことを考えていた。


(不審者ではないと思うけど、ちょっと周りをきょろきょろし過ぎるおじさんだったわね……)


私は、アパートの掲示板に貼ってある不審者目撃情報を見ながら、そんなことを考えていた。