「はい、どーもー」
ああどうしよう、と落ち着かない詩の耳に、どことなく軽薄な声が届いた。
幸か不幸か、詩が待つ63号車にやって来たのは、『邑上先生』ではなかった。
「あれ、大丈夫? 緊張してる?」
待っていた人物とは全く違う様子のその声に驚いて顔を上げると、目の前の教官が爽やかに笑った。
バイク教習の教官が着ているライダースを着込んだその教官は、確か……
「この時間を担当する、佐伯でっす。よろしくねん」
すらりと伸びた体躯に、いかにも女性受けしそうな端正な顔立ち。軽い口調は親しみやすさを感じさせる。
女子教習生がよく騒いでいる、『佐伯先生』だ。
なんだ、邑上先生じゃなかったんだ……。
「えと、榛名です。よろしくお願いします……」
詩が教習原簿とハンドブックを手渡しながら挨拶をすると、佐伯がにこりと笑う。
「うん、榛名さんね。久しぶり。路上はどぅお?」
久しぶり、と言う佐伯に、詩は目を丸くした。
確かに佐伯の教習を受けたことはあるが、一段階の、それも初期にほんの二、三度ほどだったので、当然覚えていないものだと思っていたからだ。
「覚えてるんですか?」
「うん? うん、まあね。顔覚え、いい方なんだわ」
言ってまたにこりと笑う。
そうなんですか、と言いかけて、もしかしたら自分が『大物』で有名な教習生なのではないかと邪推して気まずく押し黙った。
「じゃー、早速だけど点検から始めちゃおうか」
そんな詩の様子をそれとなく見ながら、佐伯が指示を出す。
ボンネットを開けて、エンジンルームの点検。それからタイヤ、最後に運転席へ乗り込んでランプ類を点検する。点灯の確認をするのは佐伯だ。