「私、助かってごめんなさい……」
ぎゅっと膝を抱える腕に力を込める。
流したくなかった涙が、自然とこぼれた。
心にできた深い裂傷は、たやすくは消えてくれない。
きっと熱かったでしょう。
苦しかったでしょう。
その声に、答えることが出来なくてごめんなさい。
同じ状況で、私は助かってごめんなさい。
そう思う自分。
そして、それとは正反対に思う自分が、詩は何より嫌いだった。
一歩間違えれば、自分たちも死んでいたかもしれない。
熱かった。苦しかった。
そこから、助け出されて良かった――
あの事故さえなければ、こんな思いをすることなんて無かったはずなのに。
「……もう、やだ……」
掠れた声で呟いた時、廊下から足音が聞こえてきた。
咄嗟に荷物を抱えて階段を降りる。
泣いた顔を見られまいと、下を向いてバタバタと駈け出すと、何かとぶつかる衝撃が身体に伝わった。
「……あ?」
その声に恐る恐る顔を上げると、そこに居たのは見覚えのある男だった。
「邑上先生……」
思わず声に出した呟きは、どうやら当人には聞こえていないらしい。
と言うよりも、背の低い自分を見つけられていないらしい。
教習中には気付かなかったが、自分よりも随分背が高いようだ。自分より背の低い男性に出会った事も無いのだが。
それより、泣き顔を見られてしまう。
よりによってこんな所で、この人に。
困惑していると、詩に気付いた『邑上先生』と目が合った。
「ごっ……ごめんなさっ……」
「いや……こっちこそごめん。大丈夫?」
少し驚いた様子で詩を見やる『邑上先生』は、教習の時よりも優しい雰囲気を纏っている。
詩は眼鏡を慌てて掛け直し、ぶつかった際に乱れた髪を手櫛で整えて、不自然なまでの早口で答えた。
「だっ……だい、大丈夫ですほんとごめんさい!」
言って、バタバタとその場を走り去る。
配車券を落とした事に気が付いたのは、それから10分後の事だった。