「なんで、こんな検査するかわかる?」


今までカルテから目を離さなかった先生が、立っている私の顔を見上げて言った顔は真剣だった。

カルテには何種類かの検査名が書かれてあり、私はすぐにその検査の必要性を説明した。


「へ~知ってたんや」

そう言うと、再びカルテに視線を向けた。


めっちゃ馬鹿にされてるし!


「それくらいわかります」


私は、目の前の私のことを馬鹿にした男の後頭部を睨みながら、口パクで「馬鹿にするな!」と言ってやった。




私が口パクをしている途中で、先生が急に立ちあがったので、私は慌てて姿勢を正した。
おそらく、表情までは戻せず眉間に皺を寄せたままだったはず。



「こんなことも分からずに指示だけ受けている奴が多いからさ、この病院」


先生は一言を残して救急室から出て行こうとした。


「・・・・・・お疲れ様でした」


私がそう言うと、先生は少しだけ振り返り、患者さんに掛けるような優しい声で私に言った。


「お疲れ」



―――1時間後―――


再び救急要請の電話が鳴った。



―――井村うめさん 82歳 女性 トイレに行こうとして立ちあがろうとしたが、手足を動かすことができず、息子が救急要請―――


来院時も手足に力が入らない状態が続いていた。


「脳梗塞の疑いがあるので、MRIを撮ります」


先生は、家族に説明をしてMRI室へと運んだ。



―――数分後―――


MRIの画像を見ながら、先生は首を傾げていた。それもそのはず。


画像には、異常所見はない。82歳という年齢相応の軽い脳梗塞は見られるが、手足が動かない程の病変はなさそう。


それくらい、私にもわかる。


ピピピピ・・・


体温計が鳴り、井村さんの体から体温計を抜き取った。


「先生、体温39.6℃です」


「あ・・・うん」


先生は、相当頭を悩ませているのか、私の報告にも上の空だった。


その時私は、あることが頭に浮かんだ。


「先生、インフルエンザの検査は必要ないですか?」


頭を悩ませていた先生は、頭を上げて振り返った。


「インフルエンザ?それでこんな状態になるっていうんか?」


眉をひそめて私に聞く先生は、いつもとは違い、自信なさげだった。


「はい、高齢ですから、ありえなくはないと思いますが・・・」

先生は、姿勢を戻しカルテと画像を見合わせていた。
救急室に沈黙の時間が流れた。


やばい・・・・・・生意気なことを言い過ぎた?
怒られる?


怒られる覚悟をしていた私は、自然と歯を食いしばっていた。


そして、先生が突然立ちあがったのが分かり、身を強張らせた。


私の気持ちをよそに、先生は勢い良く立ち上がり井村さんに近づいて、口を開いた。




「井村さん、熱が高いので、インフルエンザの検査をしておきますね」


「はい」


その言葉を聞いて、私はインフルエンザの簡易検査の準備をし始めた。

―――陽性―――


つまり、井村さんはインフルエンザということだ。


普通なら、インフルエンザくらいでは入院になることは滅多にないが、高齢である上に、まだ何かの疾患が隠れている可能性も否定できないので、入院となった。


「ありがとう。百井さん」


井村さんの入院手続きを終えた私に、先生は声を掛けてくれた。
その表情は、柔らかなものだった。


しかも・・・名前を呼んでくれた。
というか、知っていたことに驚き、なぜか喜びを覚えていた。


「いえ・・・。お疲れ様でした」

私は頭を下げると、「お疲れ」と先生は救急室を出て行った。


 その後は特に大きな仕事もなく終わった。


 数日後、井村さんは歩いて家族と一緒に退院した。