変わって、叶衣はまた昨日届けられた万年筆を手に取っていた。
インクも用意したが、それをつける勇気はなんだか持ち合わせていなかった。
万年筆を使うのに勇気も何もないのかもしれないが、長年の想いを思うとやはり、なにか厳かな気持ちになるのだ。
なおもキラキラと輝く新品の万年筆を見つめている叶衣の耳に、ふと姉の声が届いた。

ドアの向こうで何やら呻いているのが聞こえる。
どうせ大したことはないと思いつつ、ドアを開けると大量の衣服に潰れる惨めな姉の姿が目に入り、叶衣は無言でドアを閉め……と、閉まる寸前に滑り込まされた厚手のジーンズによってそれが阻止される。
見事ジーンズを投げ込んだ衣服の山から覗く右腕が、威嚇するようにかっと首をもたげた。
続いて頭が飛び出し、その口から恨めしそうな声がした。

「酷いよ酷いよ、かなちゃんってばあ。
なかなか危機に見舞われてるんだから助けてくれないと、知らないぞ?
いつかかなちゃんが結婚した時に嫁いびりが酷くなっちゃいますよ?」
「……何してんの、アンタ」
「アンタって、愛しのお姉ちゃんを指す代名詞としてはまた、相応しくないなあ」

ふん、と鼻を鳴らす夏子を横目に見ながら叶衣はしゃがんでTシャツやらスカートやらを手当たり次第に畳み始めた。

「ほら、花子ちゃんの荷物入れるスペースを開けようと思ってね?ここら辺はかなちゃんのクローゼットに入れようかなってさあ!」
「……まあ俺は服なんてそんな持ってないし、棚ガラガラだからいいけどさ。分けて持って来るとかしろよ。自分の服で倒れるってお前……。つーか下着は持ってくんな、常識として。自重をしろ、自重を」
「む。思春期反抗期」
「はいはい」

空いた棚に姉の服を押し込みながら叶衣は「花子さんは?」とだけ聞いた。
えっと、と夏子が返事をする。

「多分、部屋にいるよ?」
「ほらさ、やっぱり母親死んじゃったわけだし、あれじゃん。なんつーか……一人にしない方がいいんじゃねえの?」
「そっか……そうだねえ。なんとなく元気なのかなって勘違いしちゃうんだよね、そんなわけないのにさ」
「まあ……確かにな」

今思えば、彼女の態度は親を亡くしたとしては明るすぎるぐらいだ。
二人で揃って傾けられた首は、コンコンとドアを叩く音でそちらに向けられた。
ドアの向こう側から夏子によく似た彼らの母親の声が聞こえてきた。

「ただいま。遅くなってごめんねえ。花子ちゃん、いる?」
「お母さんおかえり。えっと、私の部屋にいると思うけど」
「そう。花子ちゃん呼んで、三人でリビングに来て頂戴な。これからの事をきめなくっちゃね」