そう、あれは、娘が確か二十七、八歳の頃だった。
それまで、娘はまるで何か機械仕掛けのように、毎日同じ時刻に起きて朝ご飯を食べ、会社へ行き。
夜になると、残業さえなければ、大体いつも同じ時刻に帰ってきていた。
平日はそれの繰り返しで、休日には家で本ばかり読んでいた。
本当に時々友達と出かける事はあっても、ほとんど活字とばかり向き合っているのが私の娘だった。
たまには、映画や何かを観にいったり。
二十歳も過ぎているのだから、友達と旅行へ出かけてもいいといっても、家で本を読んでいるほうがいいといって、毎日そうしていた。
本当に真面目な娘さ。
そんな型にはまった毎日を過ごしていた娘が、ある日突然男の人を家に招いた。
休日の昼間。
私は縫い物をしながら、縁側から入る陽を浴びている時だった。
「お母さーん。ちょっといい?」
声は、玄関先からだった。
「なんだい?」
私はかけていた眼鏡をずらし、声をかけてくる娘に向かってそう返事をすると、ちょっと来て欲しいと催促される。
娘がまた何かたくさんの本でも買い込んできて、持てないものだから手伝って欲しいと呼んでいるのかと、針仕事を座っていた脇に置いたまま私は三和土に向かったんだ。
すると、玄関には背の高い男性が、少し強張った表情で、頬をほんのりと染めた娘のそばに立っていた。
新聞か何かの勧誘にしては、ほどよく緊張したような面持ちで雰囲気がおかしい。
私は、僅かに首をかしげ、男性の隣に恥らうようにして立つ娘を見る。
「こちら、高橋弘樹さん」
「初めまして、高橋弘樹です」
よく解らないままに自己紹介をされ、私は高橋と紹介された男に釣られるように頭を下げた。
そうして顔を上げると、娘が言ったんだ。
「私、彼と結婚したいの」
余りの驚きに、私は言葉も何も出ず、ただ大きく鳴り響く胸の鼓動を押さえつけるのに必死だった。
それはそうだろう。
毎日会社へ行って帰るだけの娘が、突如連れてきた男性を結婚相手だという。
これは、何かの冗談かと思ったけれど、直立不動のようにして立つ男性の顔を見れば、その緊張している表情の理由がそれなんだと理解するよりなかった。