「西條さん、ちょっといいですか?」


「はい。」



夜、病室で勉強していると、急に麻生先生が入ってきて驚いた。



「あれ、勉強ですか?無理はしないでくださいね。」


「大丈夫です。……勉強しないと、みんなに置いて行かれちゃうし。」


「そうですよね。受験生だし、進路のこと心配ですよね。でも、」



麻生先生は、そこで一度言葉を切ると、私の目を真っ直ぐに見つめた。



「でも、大学は一年くらい遅れても入学できます。治療は、今しかできません。」


「だって、もう背中の傷はほとんど治っています。」


「ええ、背中の傷はね。でも、西條さん。心臓の状態が思わしくありません。」



麻生先生は、いつもみたいに笑っていなかった。

真剣な医師の顔で、私をじっと見つめる。

私も、知らないうちに息を止めて、先生を見つめ返していた。



「というか、僕が思っていたよりも、ずっとよくない。刃物の先端が心臓に傷を作って、その傷から入った菌によって合併症が起こされています。」


「それって、どのくらい怖い病気なんですか?」


「そうだね……。人によるけれど、中には死に至る人もいます。手術が必要になる場合もある。」


「手術、ですか。」


「西條さんは、まず手術で心臓の傷を塞がなくてはなりませんね。それから、薬で炎症を抑えられるか試してみましょう。」


「え、せっかく治ったのに?」


「ええ。……西條さんが運ばれてきたときは、出血多量で命に関わる状態でした。だから、大きな傷を塞ぐことが先決だったのです。合併症を引き起こすことは想定内です。」


「その手術の後、薬が効かなかったら?」


「また手術です。」


「そんなっ。私、いつまで経っても学校に戻れない……。」



涙目になった私の頭を、麻生先生がそっとなでる。



「だから言ったでしょう?大学は待ってくれます。でも、あなたの体は今治さないと取り返しがつきません。」


「でも……。」


「ええ。分かっていますよ。あなたは何も悪くない。悪いのは、あなたからすべてを奪った犯人です。」



穏やかな声で言われて、もう何も反論する気持ちがなくなる。

瞬きをすると、ぽろりと涙がこぼれた。



「泣いていいんですよ。ほら、こっちにきなさい。」



先生が抱き寄せて、傷のないところを選んで背中をぽんぽんしてくれる。

その心地よさに、また涙があふれた。



「麻生先生。」


「はい。」



涙目で見上げると、いつも通りに優しく笑う先生がいる。

私は安心して、眠くなってくる。



「さあ、眠くなったなら横になって。勉強はいつでもできますよ。」



私を、そっとベッドに横たえて、布団を掛けてくれる。



「先生。」


「はい。」


「手術、先生がする?」


「もちろんです。」


「……よかった。」



そう言うと、先生はそっと私の頭を撫でた。



「西條さんが眠るまで、そばにいてあげますから。」


「先生。」


「はい。」



意味もなく先生を呼びたかった。

その度に、優しい顔で返事をしてくれる先生の顔を、眺めるだけで幸せだと思った。



「ほら、目を閉じてください。」



先生の大きな手が、私の両目を覆う。

真っ暗になった視界につられるように、私は目を閉じる。

先生の白衣の袖から、ほんのりと消毒薬の匂いがした。



「羊を数えますよ。一匹、二匹……」



頭の中に、野原と木の柵を思い浮かべた。

先生が数える度に、木の柵を羊がぴょん、と飛び越えてくる。

白いもふもふした羊は、あっという間に農場を覆い尽くしていって。

そして、頭の中が真っ白になった私は、そのまますーっと眠りに落ちていった―――