満月が生まれて、4ヶ月が過ぎようとした
その年の秋。
宝珠姉さんを通して、DTVTの演奏会の招待状が届けられた。
昨年の夏休みの留学から1年と少し。
1年間の留学の集大成として、
惣領国臣が言い出した、DTVTとの演奏会。
その演奏会の場に、雪貴が出演するというものだった。
宝珠姉さんは、事務所の方をスタッフに任せて二週間前から
公演の準備の為に向こうに旅立っている。
*
「託実、悪いけど……招待客、全員宜しく。
多分、十夜辺りがチャータ便出すと思うけど
都合つかなかったら、裕真に連絡宜しく。
裕真には私がすでに伝えてるから」
「おいおいっ。
まぁ、いいけどさ」
「満月ちゃんは元気?
百花ちゃんにばっかに育児を押し付けないで、
ちゃんとやってるんでしょうね」
「その辺は心得てるよ。
それより、後ろで呼んでるぞ。
ほらっ、さっさと行けよ。
日本の方はちゃんとやっておくから」
*
そんな会話をして、ネット電話の回線を落とす。
そのまま十夜の方へと連絡した。
「もしもし十夜、今いいか?」
電話に出た十夜に声をかけると、
十夜は仕事中だったのか、何かを話して再び俺の方の電話へと戻ってきた。
「あぁ、悪かった。
それで、託実の用件は?」
「今、宝珠姉さんから連絡が来た。
雪貴の留学の集大成で、DTVTの演奏会に惣領国臣たちと演奏が決まったらしい。
言い出したのは、惣領国臣みたいなんだけど」
俺がそう言うと、昂燿校の生徒出逢った惣領を知る十夜は「やっぱなぁー」っと呟いた。
「やっぱって、惣領ってそんなやつなの?」
「まぁ、変わりもんには違いないなー。
悪いようにはせんし、雪貴の経験値は大きく進化するってことでいんじゃねぇ?」
「まぁな」
「んで託実のはオレにどうしてほしいの?
その件で連絡してきたんだろ」
「あぁ。
大所帯だから、飛行機都合してほしくてな」
「だと思ったよ。
こっちにもお節介な惣領先輩直々に、ご指名が入ってる。
もう申請手続きは終わらせてるから、後は出立を待つのみ」
「流石だな。早い早い。
んじゃ、俺は残りの祈とか、百花とかそっちのフォロ-にまわる。
んで雪貴は、唯香ちゃんにはもう招待状送ったのか?」
「流石に、それくらいは此処まで惣領先輩がお膳立てしたんだからやるでしょ」
「そうだな」
「んで、来月の学院祭。
また演奏するだろ、その後はAnsyalのスケジュール的にはどうする?
こっちのスケジュール調整しとかないとな。
オレがAnsyalにまわってる間は、お父さんに正式ルートで依頼かけないといけないしな」
「了解。
スケジュールが調整出来次第、連絡いれるよ。
んじゃ」
十夜と打ち合わせを済ませた後は、日本をあけられるように
俺自身のスケジュールを調整しながら、百花の育児もフォロー出来るように心掛ける。
満月が誕生して以来、日に日に増えていく満月の私物。
プレゼント。
皆に祝福されて誕生しているのが、真っ直ぐに伝わって行く目に見える形。
時折、百花は苦笑いしているのは知っているけど、
それでも出掛けるたびに、ベビー用品の専門店を覗いては何かをお土産に買って帰ってしまう。
そんなプレゼントの決定的になったのは、
親父と母さんの一言だった。
突然の電話口で告げられた『ピアノオーダーしたから』の言葉。
いつかは……満月にピアノを習わせたいと思ってた。
それは多分、百花も唯香ちゃんあたりに教えて貰いたいって思ってるかもしれない。
そんな風には思ってたけど、その上を行く俺の親二人。
「託実、旺希ちゃんにお願いしたらすぐに手配してくれたわ。
満月ちゃんと一緒に成長していくピアノって素敵よね。
百花ちゃんも喜んでくれるかしら?
お母さん、ピアノが届くの楽しみだわ。
託実、ちゃんとピアノの部屋作っておいてよ。
もしピアノが入れられないなら、家何とかしなさいよ」
家を何とかしろって、
それは目茶苦茶だろ。
そんなことを思いながらも俺の脳裏には、すでにどの部屋にどういう配置でピアノを置くかも検討済み。
将来設計も踏まえて、防音室も作ってあるから何とかなるだろう。
俺たち家族のことも進めながら、慌ただしく仕事を終わらせて
ようやく迎えた演奏会の前々日。
十夜のチャータした飛行機で、俺たちは日本を旅立った。
ホテルに一度立ち寄って、着替えを済ませた後
演奏会場となるホールへと移動していく。
その際も、十夜の海外支社のスタッフがいろいろと手を貸してくれる。
そのまま会場内のボックス席へ。
演奏が始まった後も、暫くはボックス席からステージを楽しむ。
だけどやがて、唯香ちゃんは雪貴の出番が近づくにつれてそわそわし始めて
ボックス席から一階へと移動してしまう。
満月を抱いたまま追いかける百花。
二人を追いかけるようにボックス席を出た俺は、
そのままDTVTの関係者である、アメジストで象られた刻印を見せて
一階の関係者席を手配する。
関係者席に静かに座った唯香ちゃん。
満月を抱いた百花、そしてその隣に着席する俺。
惣領国臣によって紹介されて登場した雪貴。
雪貴が演奏した曲は、隆雪の作曲したAnsyalの名曲。
天の調べをメインテーマに、
幾度となく変奏していく壮大なメロディー。
隆雪と雪貴。
唯香ちゃんを思い続けた二人のメッセージが
洪水の様に溢れ続ける、そんな慈愛に満ちるサウンドだった。
スタンディングオペイションに湧き上がる会場内。
急な歓声に驚いて泣き始める満月を
百花から抱き上げて、俺は一人会場を後にして十夜たちの待つ部屋へと戻って行った。
その翌日。
俺たちは何時もの生活に戻るため、
十夜のチャーター便で、日本へと帰国した。
留学を終えた雪貴も共に。
Ansyalのメンバーが国内に全員揃った
希望に満ちた一日。
その日から、第二のAnsyal始動に向けての
本格的な準備が始まって行く。
雪貴くんが留学から戻ってきても、
唯香は、隣のマンションで同棲生活を始めることはなかった。
残り約半年。
その時間が終わるまでは、恋人同士だけれど『教師と生徒』。
そんな言葉に、
唯香は支配されてるみたいだった。
だからといって、唯香が不安定なわけでもなく
私は安心して二人を見ていられる。
雪貴くんが帰って来て、Ansyalとして大きく変わったのは
今までは自主練習だった、夜のアメジスト側のマンションの地下にあるスタジオでの練習が
必須になったこと。
託実と一緒に、毎日夜には地下のスタジオへと顔を出す。
そこには祈くんや、雪貴君たち学生陣が最初に集まって先に練習を始めてる。
学校の仕事を速攻で終わらせた唯香も合流して、すでに賑やかな時間。
その後くらいにいつも私と託実も満月を連れて合流。
託実が準備を進めるのを、見守りながらAnsyalのサウンドに身を委ねる。
21時を少し回って、ようやく仕事を終えて合流してくるのはスーツ姿の十夜さんと、憲さん。
二人ともスタジオに到着した途端、羽織っていたジャケットをソファーへと脱ぎ捨てて
ネクタイを緩め、シャツのボタンを少し外すとそのまま練習へと突入していく。
日付が変わるまでの間、何度も繰り返されていく練習。
編曲の時には、唯香もちゃっかりと加わっていて
私的には少し置いてけぼりの気分。
だけど私も、この空気の中に身を委ねて
一人、ペンを握って満月をあやしながら、紙と向き合っていく。
託実に頼んでお姉ちゃんの曲に作詞をつけたいと言ったから。
浮かんだフレーズを紙に書いては斜線をひっぱって消す。
そんな作業を何度も何度も繰り返しながら、
私の時間は1日、1日と過ぎていく。
年明けを迎えて、1月下旬。
いよいよ、雪貴くんは卒業試験の準備に入っていく。
そんなある日、唯香がふらりと私のマンションを訪ねてきた。
いつも一緒に居る、雪貴くんの存在は後ろにはない。
「いらっしゃい、唯香。
どうぞ」
招き入れた私は、唯香に紅茶を出して
リビングのソファーへと座る。
部屋に流れるのは、練習の時に録音させて貰った
Ansyal版のお姉ちゃんの曲たちの仮音源。
「あっ、ごめん。
作詞、頑張ってたんだ」
「あっ、気にしないで。
作詞の方は昨日、最終的に十夜さんとも相談しながら完成して渡した後なんだ。
完成して渡した後なんだけど、なんだか落ち着かなくて。
本当にあんな感じで良かったのかなーって。
それで……録音してた仮音源、また聞いてた」
「そっか。
百花も大役果たせたんだ。
今回は、百花凄いよね。
ジャケットも百花の絵画とデザインでしょ。
私も頑張んなきゃ」
そう言って唯香は、ティーカップを口元に運んだ。
「なんかあった?」
「ううん。
何があったわけじゃないんだけど、
私ももっと雪貴を近くで支えたいなーって思ったの。
私、Ansyalの事務所のスタッフとして手伝えないかなって
ちょっと考えてる」
突然の唯香の宣言に私は思わず、唯香を見つめ返す。
「学校の方はどうするの?」
「話し合い次第だと思うけど、非常勤講師で出来るなら
関わっていきたいと思ってる。
でも雪貴と出逢って、私もやってみたいこと見つけたから」
そう言った親友は、嬉しそうに笑った。
唯香が選んだ未来なんだったら、
私が今更、何も言えるわけないし言うつもりもないよ。
その後の唯香は、3月の任期終了と共に非常勤講師として音楽を教える片側、
クリスタルレコードの正式スタッフとして、試験を突破して就職を決めた。
クリスタルレコード、トバジオスレコードが関わる教室でも音楽と携わりながら、
Ansyalや、他の新人アーティストを見つけだしたり、育てていく。
今まで以上に楽しそうな唯香を見ていると、
私自身もいろんなことにもっともっと挑戦したくなった。
3月。
雪貴の卒業を待って、
行われる第2期Ansyal始動。
雪貴の卒業式と同じ日に、全国一斉に販売させた
最新アルバム「星空と君の手」。
百花の描いた絵画を表紙のジャケットに、
中の冊子に至るまで、百花の絵を取り入れて完成させた1枚。
メンバーの名前には、既存のAnsyalメンバーにプラスして
新たに、隆雪の名前を刻み込む。
specialThanksと綴られた、一番最後には
メンバーそれぞれを支え続ける彼女の名前を刻み込む。
俺に至っては、
百花・満月・理佳と三人の名前を刻ませて貰った。
発売日当日から沢山、各店舗に流通する新譜。
系列店舗から、売れ行き情報の速報を随時聞きながら
俺たちは、再始動に向けての最終調整に入る。
翌、四月のLIVE当日。
待ち合わせをしたわけでもないのに、
それぞれが姿を見せたのは、隆雪が眠るお墓。
宮向井家と綴られた、先祖代々が眠り続けるその場所で
静かに眠りについた隆雪。
ゆっくりと日の出が始まるそんな時間に、
俺はこの場所を訪ねていた。
「あれっ、託実さん。
来てくれてたんですね」
「まぁな。
百花と満月はまだ朝は寒いから、休んで貰ってるけどな」
「おはようございます。
託実さん」
「おはよう、唯香ちゃん」
隆雪のお墓の前、出逢う雪貴と唯香ちゃん。
二人は、手にしてきた花束を素早く花筒にセットしていく。
「なんや皆、朝早すぎるやろ」
そんなことを言いながら姿を見せるのは、十夜。
十夜の後ろには、荷物を持った憲が控える。
「おはよう、十夜・憲」
「おはようございます。
僕だけだと思ったのに、皆さん考えることは同じなんですね」
最後に姿を見せたのは祈。
宮向井家のお墓の前、
十夜がいつもの様にアイテムを並べて、シェーカーを操る。
水色の液体がグラスに注がれて、
隆雪の眠る前へと供えられる。
「あぁ、他のメンバーはアルコールなしな」
そう言いながら次から次へとノンアルカクテルをグラスに作り続けると、
その場でグラスを手に持って、墓石を囲むように半円に立つ。
「兄貴、遅くなったけど今日から兄貴がずっと大切にしてきたAnsyal
もう一度、始動させるよ」
「あぁ、待たせたな隆雪。
今日からまた一緒に行こうな。
んじゃ、第二期Ansyalに乾杯」
一斉に乾杯コールをしてグラスを飲み干すと、
憲が空になったグラスを鞄の中へと次々と片付けた。
んじゃ、次は会場で。
早々にお墓の前で解散して、俺は一度自宅に戻ると
百花と満月、理佳の写真を手にして再び移動する。
スタジオの方で軽く音を出してウォームアップを終えてから、
会場へと向かう。
まだ開演まで何時間もあると言うのに、
すでにコスプレ姿のファンたちが、会場周辺には集まってきている。
そんな中会場入りをして、リハーサル。
メンバーと相談しあった、セットリストを追いかけるように
第一部、第二部の演出を念入りに打ち合わせていく。
第一部は、隆雪を中心としていた懐かしいAnsyalとして。
雪貴も、隆雪の演奏の仕方を辿る形で隆雪を意識して音作りをしてくれる。
少し休憩を挟んで、アンコールの後から始まるのは新生Ansyal。
メンバーの衣装も髪型も新調して、
誕生する新生Ansyalの形。
そこには隆雪の音ではない、
雪貴自身の純粋なサウンドが会場内を包み込んでいく手はずになっている。
そして最後に十夜によって仕組まれているのは、
唯香ちゃんをステージにあげた、雪貴の公開プロポーズ。
準備は万端。
後は衣装に着替えて開演時間を待つばかり。
今まではずっと一人だった楽屋も、
今は百花と満月の笑顔を近くで感じる。
楽屋に目を見渡すと、何人かのメンバーの彼女が姿を消していた。
「あれっ、唯香ちゃんは?」
「あぁ、唯ちゃんは渡した神番チケットもってドセン」
「まぁねー。
やっぱり、唯香は向こうに行きたがると思ってた。
私も満月がもう少し大きかったら、向こう側に行くんだけど今はここで成功を見守る」
「そうだな。
俺はこっちに居てくれて安心してるよ」
「唯香ちゃんの傍には、晃穂がついてるから安心するといいよ」
そう言って、憲さんが自分の彼女の名前を紡ぐ。
「なら来夢。後は、百花ちゃんと満月ちゃん頼んだで。
そろそろ時間ちゃう?」
「んじゃ、そろそろいきますか」
十夜のコールで、一斉にドアの方に向かって移動を始める。
楽屋の時計に視線を向けて、俺は出陣コールをかける。
それと同時に、スタッフが「準備お願いします」っと迎えに来る。
それぞれに気合を入れて楽屋からステージ袖へ。
ステージ袖で、スタッフと一緒に円陣を組んで気合をいれると
そのまま一人ずつ、ステージへと続く階段をのぼっていた。
光の羽根が降り注ぐステージ。
幻想的に空間を彩る、overtureのサウンド。
過去と未来。
終焉と再生。
永遠の架け橋。
架け橋は、唯香ちゃんと雪貴だけじゃない。