夏休みに入って間もなく雪貴はウィーンへと旅立った。
雪貴が留学した後、
唯香ちゃんは自分のマンションへと戻って行く。
百花に零した理由としては、
『ベッドが広すぎるから』らしい。
時折、百花が連絡をして
俺たちの家へと顔を出すようになったものの
雪貴不在の影響は、思った以上に大きいように思えた。
寂しさを紛らわすように、
学校の部活へと入り浸っているようにも映る。
「なぁ、百花。
唯香ちゃん、向こうの雪貴と連絡取れてるのか?」
「なんか時差とかの関係もあって、擦れ違ってばかりみたい。
後は電話料金とか。
唯香、結構そういうの気にするタイプだから」
「そっか……電話料金かぁ。
そんなの気にしないで利用できる何かがあればいんだけどな。
今度、十夜か兄さんたちに聞いてみるよ。
とりあえず難なくお互いに連絡が出来るようになったら、
多少は落ち着くんだよな。
唯ちゃんが落ち着いてないってことは、多分向こうにいる雪貴もそうだろうからさ」
そう言って呟いた俺に、百花は『心配性だね』って紡ぎながら微笑んだ。
その夜も、
久しぶりにゆっくりとベッドの中で体を重ねる。
最初は余裕があったその行為に対して、
段々、制御がきかなくなっていって感情のままに組み敷く百花。
俺に抱かれながら、声を漏らすその調べにすら
俺自身を熱くしていく。
互いの肌を重ねあわした夜。
理佳と出逢って、理佳と別れた夏に
ゆっくりと新しい歴史がまた一頁、塗り替えられていく。
プライベートが充実していると、
仕事にも身が入る。
そんなある日、十夜から電話で呼び出された。
指定された待ち合わせ場所である、
その瑠璃垣のホテルへと向かう。
そこには、瑠璃垣のトップとして振舞う
Ansyalの十夜とは別の顔をしたアイツが俺を迎え入れる。
「紀天、託実を別室に。
東堂、何かあれば連絡を」
「かしこまりました」
十夜は年上の女性に声をかけると、
そのまま奥の部屋へと入室してドアを閉めた。
「紀天、あれ用意して。
早速だけど、まずはこれを見てくれるか」
そう言ってモニターに映し出されたのは、
ネット上にでまわってしまったらしい、唯香ちゃんの個人情報。
「うちのセキュリティーに引っかかったものだから、
プロバイダーに連絡して、すでにこの情報はネット上からは削除させた。
最初にこれを見つけたのは、晃穂ちゃんでな」
モニターの電源を落としながら、十夜が俺にゆっくりと向き直る。
「晃穂がファンの嫌がらせで閉じ込められた事件も過去にあった。
ファンサイドに匿名で流されたプライベート情報。
唯ちゃんの自宅は、防犯は充実してないだろ。
守るためには、雪貴のところに唯ちゃんがいるのが一番なんだけどな。
時間が許す限りは、オレも様子は見ておくけど
託実の方も、事務所に要請してくれ」
「十夜に言われるまでもないよ。
いつもながら、晃穂ちゃんの情報には頭があがらない。
憲、晃穂ちゃんにも有難うって伝えておいてくれ。
実際に唯香ちゃんの情報が出てしまっているなら、
一度出たもの、次が出ないとは限らない。
裕真兄さんにも、宝珠姉さんにも掛け合ってみるさ」
「まぁな、オレの方も情報の出所探っておくさ。
後は、雪貴情報。そっちは何か入ってるか?」
「いやっ、留学して以来、雪貴からは連絡が入ってこない。
お前のところには?」
「お前のところに来てないんだ。
オレんとこに入って来るってなんで思うんだよ。
けどオレの方は、別ルートから情報取り寄せてる。
惣領国臣【そうりょうくにおみ】。
昂燿時代の先輩が、丁寧に雪貴の情報毎日送ってきてくれてるよ」
「ピアニストの惣領国臣」
「そうそう、あの掴みどころのない国臣先輩も
こういう時には頼もしい情報源だよ」
十夜はそう言いながら笑うと、
秘書らしき人から、連絡が入って慌ただしく次の会議へと出かけていった。
十夜がもたらした気になる情報を元に、
俺自身も対応策に追われていく。
雪貴くんが留学して一ヶ月が過ぎようとしていた
八月下旬。
お姉ちゃんの命日まで後二日。
ここ一ヶ月、唯香は学校の部活の顧問として
忙しない日々を過ごしている。
雪貴くんが居ないと、唯香のことだから自分の食事もおろそかにしそうで、
それをフォローする意味で『ご飯作ってよー』っと
何度となく我が家に呼び寄せた。
私の方も託実が仕事で家を留守にすることも多かったので、
そう言う意味では、お互い様って言う言葉がいいのかな。
唯香のことを気にかけながらも、
私は自分自身の体の変化に気が付いた。
生理が止まった……。
体調を崩して遅れることも度々あったので、
今回もそれかなーなんて思いつつも、
そんな関係がなかったとは限らない。
避妊アイテムも使って行った肉体関係。
それでも……何が起こるかなんて神様以外はわからない。
託実の赤ちゃんが居て欲しいと言う気持ちと、
そうじゃないと思いたい気持ち。
複雑な心を抱きながら、私は薬局へと走った。
妊娠検査薬を購入して調べると、微かだけど陽性反応が出ていて
私はそのまま、その場に座り込んだ。
託実にはすぐに言えない。
妊娠検査薬が間違ってないとも言えないもの。
なんて何とも言えない理由を自分に言い聞かせながら、
私が連絡したのは、唯香の携帯だった。
「もしもし、どうしたの?」
電話の向こうから流れる
唯香の声に、力が抜ける。
「仕事だよね、唯香」
「うん。
でも今、部活終わったから」
「あのさ……、どうしよう」
「どうしようって、何が?」
「唯香、陽性だったの。
妊娠チェックしたら、
陽性だったのよ」
電話の向こうの唯香の沈黙が重い。
「唯?
唯香?」
溜まらなくなって呼びかけてみる。
「妊娠って、病院は?
託実さんは?」
「託実は今、スタジオ。
プロデューサーとして活発だから」
「なるほどね。
わかった、今日はもう仕事あがれるから
今から付き添うよ。
病院、行ってちゃんと
確認して貰う方がいいでしょ」
「うん。
だったら今から
車で校門まで迎えに行くよ」
唯香との電話を切って、身支度を整えると
愛車に乗って、学院へと車を走らせた。
学校の門の前で待ってくれてた唯香と合流して向かったのは
大学病院。
大学病院に入ってすぐに、裕先生か裕真先生と連絡を取ろうと
唯香は動いてくれる。
受付で私の名前を出した後、受付スタッフはすぐに最上階へと繋いでくれた。
最上階の部屋には、何かを打ち合わせしていたのか
裕先生と裕真先生の姿があって、
二人は私の姿を見た途端に、優しく招き入れてくれた。
「百花ちゃん、行こうか」
唯香を裕先生の元に残して、私は裕真先生の後をついて
関係者専用の診察室へと案内される。
そこにはすでに、裕真先生から手配された産婦人科の先生が待機していて
そのまま診察。
妊娠検査薬の反応が間違いでなかったことが明らかになった。
託実の赤ちゃんが出来たこと。
それは凄く嬉しいし、
この時期に宿った赤ちゃんが、なんだか理佳姉の生まれ変わりのようにも思えて
そっとお腹に手を当てる。
「百花ちゃん、妊娠おめでとうでいんだよね」
確認するように裕真先生が言葉を発する。
「私は嬉しいです。
託実との間の赤ちゃんだし……、もうすぐお姉ちゃんの命日だから
お姉ちゃんが帰って来てくれたような気がして。
ずっと目が覚めなかった間、お姉ちゃんと沢山話してて
お姉ちゃん、もうすぐ帰るからって笑ってたから。
だから託実が許してくれたら、育てたいです。
順番通りには行かなくなっちゃったけど」
そうやって答えると、裕真先生は「避妊はしてたの?」っと
会話を続ける。
「コンドームは使ってました。
でも……ここに新しい命が来てくれたから」
「そう。
だったら皆に、ちゃんと嬉しい報告が出来るね。
そうと決まったら、宗成叔父さんたちとも話をつめないといけないけど
結婚式も、来年とは言わずに秋くらいまでに出来ればいいだろうね。
その辺りの手配は任せてくれるといいよ」
そう言うと裕真先生は、産婦人科の先生に声をかけて
私を唯香の待つ部屋へと連れて帰った。
「百花?どうだった」
部屋に戻った途端、開口一番に紡がれた唯香の問いに
にっこりと微笑んで、「赤ちゃん、居るみたい」っと呟いた。
その後は慌ただしくて。
託実に報告して、実家のお祖父ちゃんたち家族にも伝えて
託実の御両親にも報告。
怒られるかなって思った時もあったけど、
幸いなことに、皆、赤ちゃんが宿ったことを凄く喜んでくれたのが救いだった。
急ピッチで、結婚式の手配が進められて
11月3日、神前悧羅祭で、Ansyalの一日限定復活が決まった為
その前の週になる10月下旬に結婚式が設定された。
姫龍さんと一緒に、ウェディングドレスの制作
着物の確認などを行いながら、慌ただしい日々を過ごすようになった。
9月。
二学期になると、再び唯香も仕事が忙しくなって来たのか
電話が繋がらない日々が続いた。
唯香のことを気にしつつも、自分の結婚式の準備に追われていたある日
マンションで一緒に、結婚式の準備をしていた託実の携帯に、
十夜さんからの連絡が入った。
「わかった。
十夜、連絡有難う。
すぐに向かうよ」
十夜さんからの電話に出た託実は、少し言葉を交わして告げると
電話を切って、私の方に向き直る。
「百花、今から出掛けたいところがある。
俺たちの監視ミスだ」
託実はそう言って、まずは私に謝った。
「何?」
「まずは出掛ける支度をしてほしい。
向かうのは、クリスタルホテル。
十夜の管理下にある瑠璃垣のホテルだよ」
言われるままに着替えを済ませて、
地下駐車場の託実の愛車に乗り込むと、
託実はホテルへと車を走らせた。
「百花にも落ち着いたら話そうと思ってたんだけど、
その前に妊娠がわかったから、負担をかけたくなくて俺が自分の中で止めたんだ。
8月頃。
ネット上に、唯ちゃんのプライベート情報が晒されているのを晃穂ちゃんと言う憲の彼女によって
見つけられた。
十夜がすぐに動いて、見つけたデーターは削除するようにしていたけど
いたちごっこで、犯人がわからないまま、時間だけが過ぎていった」
「唯香は、そのこと知ってたの?」
「唯香ちゃんにも話してないよ。
怖がらせるだけだと思ったから。
十夜と裕真兄さんに頼んで、唯香ちゃんには警備を付けて貰ってた。
そこで唯香ちゃんの生活環境に異変があることを知った。
『土岐悠太(ときゆうた)』、百花はその名前に心当たりある?」
託実の口から紡がれたその名前に、
私は血の気をひく思いがする。
何時だったか……唯香が話してくれた、
唯香の人生の中で、今までにもっとも最低な男(ヤツ)だったと言う名前。
「たっ……託実。
土岐がどうしたの?」
「百花、その人物は百花が慌てるほど、唯香ちゃんにとってマズイ人物なの?」
「その名前が私が聞いたことがあるやつなら、
唯香が、隆雪さんに逢う前に自殺しようとしたきっかけ作った存在。
唯香、土岐と接触してたの?
一連の事件も、土岐が原因だったの?」
感情が先走って、思わず声を荒げてしまう。
「百花、落ち着いて。
体に障るから……。
わかった、唯香ちゃんのフォローは全力でするし
何があっても守れるようにしておく。
土岐悠太って奴が、唯香ちゃんにそんなきっかけを作った存在なら
講師として残しておくわけにも行かないだろう。
一綺兄さんにも連絡を入れる」
講師として?
もしかして、土岐悠太が今、唯香と同じ職場で働いているってこと?
だから……唯香は、精一杯で私に負担掛けたくなくて
隠し続けてたってこと?
こんな状況で落ち着けって言ったって絶対無理。
イライラを残したまま、クリスタルホテルへと到着した私は
託実と共に、スタッフに案内されるまま、十夜さんがいる部屋へと向かった。
「悪い、遅くなった十夜」
「いらっしゃい、百花ちゃん。
悪かったな、託実も呼び出して」
そのまま会話モードに突入しそうな二人の会話を割って入るように、
「唯香は?」っと問う。
「今は風呂に入っとる。
もう時間は随分たってるんやけど、
天岩戸宜しく、浴室のドアは開かない。
オレの猫も対応に困ってる」
十夜さんの言葉に私は
お風呂場を確認して、その場所へと歩いていく。
そんな私の後を、不安げについてくる託実。
「唯香、ちょっと生きてる?
アンタ、何時までお風呂入ってるの。
長風呂もいいけど、
風呂の中で泣き崩れるくらいなら、
どうしてもっと早く頼ってこないの」
返事もないままに、男衆を洗面所の前て
浴室の前でシャットダウンして一人、お風呂場のドアを開ける。
濡れている足元には、最善の注意を自分なりに払いながら
ツカツカと入ると、浴室で小さく縮こまってる唯香に
『バカ、唯香』っと声をかけながら、頭を撫でる。
こんなに……思いつめるまで、
本当に馬鹿なんだから。
もっと早く、SOS出してきなよ。
そんな思いを込めて、バスタオルを放り投げて
唯香に手渡すと、そのまま支えるように浴室から起こした。
「ごめん……百花」
唯香はそう言って、頭を下げた。
「いいから、ほらっ。
託実や十夜さんたちも心配してるから。
ちゃんと唯香の力になるから、
着替えて、出ておいで。
皆待ってるから」
そう言うと、濡れてしまった靴下だけを脱いで
私は浴室の外へと向かった。
唯香を連れ出すまでの間に、
託実は託実で十夜さんと打ち合わせをしていたらしく、
浴室から出てきた唯香に告げられた言葉は、
唯香は、暫くは憲さんが運転する車で出勤することになったこと。
そしていつの間にか、私たちの結婚式の前に
唯香を一番支えてくれる、雪貴君の一時帰国が決まったこと。
私一人じゃ何も出来ないけど、
今は……皆が、唯香を助けてくれてる。
雪貴くんの名前が出た途端に、
嬉しそうな表情を見せた後に、すぐに表情がかげっていく。
「大丈夫。
私や託実が傍に居るから。
十夜さんも憲さんも居てくれるでしょ。
唯香の周りには、
ちゃんと今は仲間がいるじゃん。
隆雪さんと雪貴が出会わせてくれた
大切な仲間がさ」
そう、今の唯香の傍にも
私の傍にも、Ansyalが繋げてくれた
頼もしい人たちがいるから。
私もそんな仲間たちと共に、
唯香をちゃんと支えていきたい。
そんな風に思えた。
唯香、保護事件。
その日から、結婚式当日まで
お互い連絡を取りながら当日を迎えた。
悧羅祭の為のバンド練習。
プロデューサー業務。
結婚式に向けての準備。
様々なものに時間を追われながら迎えた結婚式当日。
俺は、百花と共に結婚式の会場となる
伊舎堂のホテルへと向かった。
今日の主役となる百花は、
挙式の準備の為に、メイクルームへと消えていく。
百花より少し遅れて、新郎である俺も
ヘアメイクと衣装に着替えると、
俺の方は、会場関係の下見と最終の打ち合わせに奔走する。
親族を迎え入れ、着替えやすいように誘導して
控室へと戻ると、
十夜をはじめとしたAnsyalのメンバーも姿を見せていた。
「お疲れさん、託実」
「お疲れって、まだ式もこれからだって」
「まぁな。
託実の一日は長いよな」
そんな言葉を吐きながらも、
瑠璃垣の御曹司としてのモードではなく、
Ansyalの十夜としての出で立ちで、ビシっと決めている十夜。
「あぁ、託実。
オレ、今日は瑠璃垣じゃなくてAnsyalで行くから」
そんな十夜の意味深な言葉を気にかけながらも、
俺は時間が流れるまま、慌ただしく動き続ける。
結婚式のリハーサル。
結婚式本番と、
百花をエスコートしながら時間だけは過ぎていく。