その日以来、母親は寝込むことが少なくなり、再び料理教室に通うようになった。


 真は、母親が作る料理や洋菓子が大好きだった。


 母親と結婚できた父親が羨ましいとさえ思う。


 僕も、お母さんみたいな美人で優しい人と結婚したいな!


 九歳の少年は、自分の輝かしい未来を思い描いた。


 秋も終わり、本格的な冬の訪れを感じさせる頃のことだった。



「おばあちゃん、こんにちはー!」


 駄菓子屋の扉を開けるなり、真は元気良く店に飛び込んだ。


 老婆は相変わらず、椅子にちょこんと座って編み物をしていた。



「真ちゃん、いらっしゃい」


「何を編んでるのー?」


「うん? これはねぇ……可愛い孫に、手袋をプレゼントしようと思ってね」


 老婆は穏やかにそう言いながら、老眼鏡を指で押し上げた。


 青い毛糸で編んだ手袋は、完成間近だった。


 孫は男の子だろうか。



「へぇ、いいなー。おばあちゃんの孫は幸せ者だね!」


「……そうかい? 真ちゃんは優しい子だねぇ」


 老婆は目にうっすらと涙を滲ませたが、駄菓子を物色する真は気づかない。


 この日、真はチョコレート菓子と、母親のためにヨーグルトのグミを二つ買った。



「じゃあ、また来るね! おばあちゃん」


「毎度ありがとね。気をつけてお帰りよ」


 老婆はニコニコと笑いながら手を振り、真の姿が見えなくなると手袋に目を落とした。



「孫は幸せ者、か……。ありがとよ、真ちゃん」


 真はいつものように、駆け足で自宅マンションに向かった。


 早くお母さんにグミをあげたい!


 今日は二つ、フンパツしたんだよ。



「ふふっ」


 真は母親の反応を想像しながら、一人小さく笑った。


 足を踏み出そうと思った瞬間。



「……っ!?」


 空気の異変を感じてハッと顔を上げると、真の目の前に何かが降り注いだ。


 逆さまになった人間。


 目を大きく見開いた母親と、至近距離で目が合った。


 母親の身体が地面に叩きつけられる寸前、真は確かにこの耳で聞いた。


 「ごめんね、真」と……。