「え、狐さん。
どこかに行くんですか?」
その日、狐さんは早くから出かける支度をしていた。
その日は大ぶりの雨で少し薄暗かった。
「あぁ、盆祭りの準備にな。」
「そうですか。」
少し寂しいな、と思っていると、
ポン、と頭に手が乗った。
目線を上にあげると、
「できるだけ早く帰る。
だからそんな顔するな。」
そう言って笑った。
「約束ですよ。」
「あぁ。」
「あ、傘・・・。」
慌てて渡すと、「ん。」と片手でそれを狐さんが受け取った。


狐さんが家を出たあと、
私は「よしっ」と腕まくりをしていた。
その手にはバケツと雑巾。
「やるぞーっ!」
勢いよく廊下をぞうきん掛けしていく。
____ドンッ
「うわっ・・・!」
いきなり頭に鈍い衝撃が走り、
ごろっと床に転がる。
「もう、なに・・・?
・・・あ。」
そこにいたのは、
腕組みをしている天狗の姿だった。


「天狗、何して・・・」
「こっちのセリフだ。」
床に座っている私に天狗がグイッと顔をよせる。
その眉間はあからさまに歪んでいて、目は吊り上っていた。
「え、私何かしました?」
「したもなにも・・・。
お前、狐に恋してるだろう。」
「はっ!?」
いきなり恋心を当てられ、
頬が熱くなる。
「そ、そんなの天狗に関係ないじゃないですか!」
「俺はお前に、
あいつに恋するなって言ったよな。」
そう言われて、少し前の事を思い出す。
木の下で、そう忠告されたことを思い出す。
「言いましたけど・・・。」
「この際、ハッキリ言っておく。」
髪の毛をクシャッとかきあげながら、
私を見て天狗は言葉を続ける。
「あやかしが人間と恋愛を築くのは、
一番犯してはいけない、禁忌だ。」
「・・・え?」
「もし禁忌を犯したら、
まず、あいつの命はない。」
そういって踵を返しながら、
「まぁ、お前の一方的な片想いなら、なんら支障はないがな。」
その言葉を残して去って行った天狗。
その場にポツンと残った私に、伝えられないと知った日に日に大きくなっていた狐さんへの想いが、重くのしかかっていた。