「何?この甘い香り」

 ズボンの裾を、何度も草や枝がかすめていく。

 そのたびに少しずつ汚れていくが、足を上げるのが苦痛になってきて、それどころじゃない。

 かおりの言葉に立ち止まる口実ができ、全員が一本の木の傍で足を止めた。

「見て、この木」

 私が手のような葉をつけた木を指差した。

 すぐ上のほうに、まだ熟していない緑色の実がなっている。

「なんだこれ?」

 信也がコンタクト越しに、実を凝視する中、アキラは問答無用で実に手を伸ばし、ブチっと捥いだ。

「あっ、コラ!アキラだめじゃない」

 かおりの声に反して康孝が笑う。

「それ、なんだか分かるか?」

 アキラはそれを手に持ったまま、眉間に皺を寄せている。

「イチジクだよ」

 康孝がリュックを下ろす。

「世界でも最も古い果実の一つだ。ここで、少し休憩しよう。他に上ってくる人がいるだろうから、みんな端に寄って」

 各々が座りやすそうな岩の上に腰を下ろす。

(デジャビューか?)

 信也はそう思おうとして、すぐに違うことに気づいて苦笑した。

(違う。これは現実の記憶だ)

 信也は、みんなとは少し離れた岩に腰を下ろすと、傍らに置いたリュックの中から水を出して、口に含む。

(俺って本当に忘れやすいな。もう、あれから一年もたったのか)

 イチジクの木の実を指差して、嬉しそうに笑っていた女。

 死が二人を分かつまで、と言うように、「そのとき」がいずれ訪れることはただ漠然と頭には合った。

 でも、それまではまだまだ、飽きるほど時間があるはずだったのに。

 もういくら望んでも、おまえを笑わせてやることはできない。

「みさと。俺はどうしたらいい?」

 空気が動いて、イチジクの香りが少し和らぐ。