「優しいな、裕くんは本当に」

 それから大きく息をついて、またガクッと頭をうなだれた。

「僕さ、母親とあんな関係でも、まだ一緒に居られただけマシだったんだって思っちゃった」
「望んでない性行為も肯定できるんですか?」

 清水センセは少しそれを反芻しているようだった。そしてうなだれたまま、首を横に何度も振った。

「嫌だった。それだけは絶対に、して欲しくなかった」

 そう言った言葉のあとに、おもむろに首を起こした。そして遠い目をして、僕の手を離し、膝を抱えて座り鼻をすすった。

「それでもまた、少しだけ、恨みが解けた気がする」
「それで先生が幸せに近づくなら、良いんですが」
「僕は君を幸せにしたいんだよ? なのに僕は君からもらってばかり」
「僕を殺してくれるという約束だけで僕は……充分です」
「ごめんね、それしか僕にはないんだ」
「充分です……充分ですよ。それ以上、何が要るんですか?」

 言いながら僕は自分の中に溢れてくる感謝に溺れそうになっていた。強い感情は胸の中で息苦しさを生むほどだった。そんな不意の感情に僕は可笑しくなった。

「あはは……好きも嫌いもわからないのに、僕、感謝はわかるみたいです」
「そうなの?」
「ええ、今、僕は先生に感謝の気持ちで胸がいっぱいです。苦しいくらい」
「裕くん……好きか嫌いかわからなくても僕は構わないんだよ……僕には裕くんの今の気持ちのほうが尊いから」
「そしたら、どうやって僕は先生に報いればいいんでしょうか?」

 これは、何かを返さないと苦しくて困る。僕は今まで訊いたことのない質問をした。清水センセは驚いた顔をした。

「なんか、返さないと苦しいんで。こういうのが文字通り“心苦しい”って言うんですね」
「いやいや、こうやって一緒に居てくれるだけで夢のような時間なんだから!」
「いえ、なんかもう少し要求してくれませんか? トントンにならないと苦しくて負担です」
「え……困ったなぁ……どうしよう? そんな贅沢なことある?」
「なんでもいいです。なんか言って下さい」
「えー、あの……わかった。考えとく。でも、もう特大のプレゼントもらったみたいなもんだからね。裕くんの話をしてくれて、僕がまた母への恨みを少しでも手放せて、そんな奇跡が起きたのに、まだ僕になにかしてくれるなんて……僕のほうがズルくない?」
「いえ、全然。なにか問題でも?」

 清水センセは首を傾げて少しの間考えていたが、うつむいたまま、恥ずかしそうに、ボソッと呟いた。

「話が終わったら昼寝するから……一緒に寝てくれる?」
「良いですけど。そんなことで良いなら」

 そんなことを言い出すとは僕は驚いた。一緒のベッドに寝るなど、清水センセのトラウマは刺激されないのか?