「小さい裕はそのあと出てこなくなりました。ほんとに、何年も。緊急事態が去ったんだと僕は勝手にそう解釈してた。でも、最近、またその子の声が聞こえたんです。実験のあとで、幸村さんに家まで送られて、そのあと……えっと……何したか幸村さんから聞いてると思いますが」
「聞いてる。気にしないで話してよ」

 顔を手で覆ったまま気丈に清水センセは僕の話を促した。

「抱かれて、突き放されて、空虚感が僕を襲って、そこで久しぶりに小さい裕の声を聞いた。『足に手が、届かなかったんだ』と言ってました。『ぶらーんって下がってる足に手が届かなかった』って。あの子はピンチのときしか出てこないのに」
「ピンチに決まってるじゃない! あの写真集を見て、ヒドい実験して、実験が成功したところで幸村さんと僕の板挟みになって……どうしていいかわかんないまま幸村さんに抱かれて……三人が三人とも誰も正解がわかんない、誰も未来なんて見えない、どうしたら良いか見当もつかないで、全部先送りになってるんだから!」
「そうですね……そうかも知れません。だからあのときも……悪魔だと幸村さんから見破られた瞬間にまた現れたんです。『ばれちゃった!』って」
「今もいるの?」
「小さい裕ですか?」
「うん。今もなにか囁いてるの?」
「いえ、何も」
「いつも居るわけじゃないんだ」
「ええ、清水先生と話してるときは……あんまり出て来ないのかも」
「どういうことなんだろ」
「いや、わかりません」
「……まだ、話すことある?」

 依然として両手で顔を覆ったまま、清水センセは僕に悲壮な声で問いかける。

「僕がダメージ食らうのも間違ってると思うんだけど……君の過去がもう、今日は……僕の許容範囲超えた」
「先生のお母さんの話より、全然ダメージ少ないと思いますけど」
「思わないよ……ちっとも思わない」
「まぁ、わかります。他人の話って、自分の話よりダメージありますね」
「君が屍体になったの……死んだお母さんから生まれたからなの?」
「ええ、屍体から生まれました」
「そんなの……そんなの……」

 言葉に詰まった清水センセがソファから崩れ落ちた。僕は慌ててテーブルに膝を突いて身を乗り出し、清水センセを抱き留めた。彼は両手で顔を覆ったままテーブルに頭を打ちそうになっていた。彼のメガネだけが床にストンと落ちた。

「ごめんね……知らなくて……何も知らないのに……ごめん……」

 泣きじゃくりながら清水センセはなぜか僕に謝り続けた。何も知らないのは僕が話さなかったからだ。清水センセのせいじゃない。