「コート、脱ぎませんか」

 僕は黙って立ち上がり、言われるままコートを脱いでソファの横に丸めて置いた。ドクター清水はそれをすぐに取りに来た。そしてドアの脇のコート掛けにそれを掛けた。

「言われたようにする…って…ホントなんだ」

 ドクター清水は僕に背を向けたままそう言うと、自分のコートを脱いでそこに掛けた。僕は再びソファに座った。

「…なにか問題でも?」
「ようやくしゃべってくれた」

 振り向いて彼は嬉しそうに微笑んだ。そして申し訳なさげに付け加えた。

「ごめんなさい。僕、本気でお腹すいちゃったんで晩御飯にしていい? 今から作るから。パパッと出来るもの」

 僕の返事も聞かずにドクター清水はリビングの奥のキッチンに消えて行った。カチャカチャ音がしている。ご飯なんてお互いの頭の中からすっ飛んでいると思った。こんな緊張感のある場面でもお腹が空いてるというドクター清水が僕には不思議だった。もしかしたら緊張感の有るのは僕だけなのだろうか?
 換気扇の音、冷蔵庫を開ける音、油の弾ける音、なにかを炒めているような音。匂いは僕にはなんでも届かない。ものの10分で彼はスプーンを乗せた皿を二枚両手に乗せて戻ってきた。「パパっと出来るもの」に偽りはなかった。

「はい、チャーハン出来上がり」
「すみません」
「でも食事が何でもいいっていうの、ホストとしたら楽だね」
「すみません」
「でもさっき、“中華料理”って言った手前ね…あはは、好きなんだ。しょっちゅう自分で作るから手慣れててね」

 車の中の緊張感が信じがたいほどの今のリラックスした雰囲気に、僕はまた二重人格者の疑いをドクター清水に向けざるを得なかった。彼のアヤシイ言動の数々のせいで、自分の手に乗っている料理になにか入ってるんじゃないかとさえ思ってしまう。だが、なにか入っていたら入っていたで、本当にヤバイ人であるという証拠になるだけで、このチャーハンに青酸カリが入っていてたとえ僕がこの部屋で殺されたとしても、死ねるという一点においてそこには特に問題はなかった。死ねなくて中毒になるとか眠ってしまうようなものの方が、想像するだに面倒くさそうな気もした。

「では頂きまーす。先生もご遠慮無く、どうぞ」
「はぁ」

 斜め前のソファに腰掛けたドクター清水はすでにパクパクとスプーンでチャーハンを口に運んでいる。躊躇するのも面倒になった僕は、一緒に食べることにした。