それからも脚気の話からビタミンB1の吸収率についてなど、栄養学的な話を一方的にドクター清水がしているうちに、車は街灯の少ない郊外のエリアに入っていくようだった。行きつけの店ってこんなところに有るのか? と思っていると、信号を曲がって左側に広い公園のようなものが見えてきて、車はなぜかその駐車場に入って行った。

「すみません。ちょっと後ろの席だと思うんですが、変な音がするんで車止めて直しますね」

 ドクター清水はそう言うとパーキングに車を止め、そそくさと運転席を出て後部座席に入った。座席の下を確認してるようだった。

「あれ? これかな…よいしょ」

 音の原因でも発見したのだろう。独り言のようにブツブツ言う声が聞こえた。なにかいじっているらしく、カタカタ後ろで音がしている。僕は前を向いたまま、その音だけを聞いていた。

 フロントウィンドウから景色をなんとなく眺めていると、ぽつんとある水銀灯に照らされて、公園の看板がうっすら見えた。視力が悪い上に、暗さと疲労ではっきりは見えない。だが、目が慣れてきたのか、だんだん文字にピントが合ってきた。…メモ…リアルパーク…白百…合…霊園…。ああ、ここは死者の公園か。名前は新聞広告やマンションに入ってくるポスティングのチラシでたまに見ていた。このあたりでは大きめの霊園で、駅から遠いので割安らしい。スタッフの田中さんだったか鈴木さんだったか、ここに墓を買ってあるとかいつだったか話していたっけ。

 だがそんなことより、自分の目の先の一面の地中に何百何千人という死者の骨が眠っていると思うと、数日来のゴタついている気持ちがスーッと冷却されて落ち着いてくるのがわかった。ただの公園では感じられないこのシーンとした音のない空間、低いエネルギー、沈静。早くこの中の一人になりたい。その日が来るまで、せめていま車を降りてしめやかな墓石が規則正しく林立した静寂の野をずっと眺めていたいと心から思った。

 それにしてもサービス良いな…偶然なのかな、清水先生がここに車を停めたのは、と思い、ふと気づくといつの間にか後ろが静かになっていた。しかし運転席に彼が戻ってくる様子もない。僕はなんの気無しに後ろを振り向こうと顔を横に向けた。

 その瞬間僕の身体は唐突に座席の背後から抱きすくめられていた。ドクター清水の手は僕の胸元で交差していて、その指はコートの襟をギュッと握りしめていた。

「あ、あの…ちょっと清水せんせ…」
「裕くんごめん……もうこれ以上…無理」

 彼は僕を“裕くん”と呼んだ。まるで以前から知ってるみたいに。