この僕になぜか期待をしている彼らの、その心理状態をなんと言うのかは知らない。だが、人身御供の他に、社会のお荷物やはぐれものが、なんらかの異能を発揮して社会に貢献するという民話や伝承は数多く存在する。そしてそのファンタジックな夢想を、堺教授や菅平さんが僕に対して投影しているような気がしてならないのだが、この予感は間違っているだろうか? それに加えて、本当は自分がなりたいはずのヒーロー像までも僕に背負わせたがっている気がするのだ。それはきっと、法医学教室の敵、幸村浩輔を僕が味方につけたというその一点がどれほど大きかったかということを表しているのかも知れない。皆んな幸村さんのせいで、本当に苦労したんだろう。同情する。

 そこで僕は、再び彼…(名前を忘れたが)新しい人材のアメリカ帰りの警察医のことを思った。ヒーローというのは、こういう人のことだ、と。こういう人こそが、人々のファンタジックな投影にも耐え、期待通りの八面六臂の働きをして、社会に貢献し、伝説の10や20を簡単に作って後世に名を残す。そう言えば菅平さんが“話しかけにくい人”とか言ってたっけ。不言実行系なんだろうか? アメリカで過ごしてたんなら、普段は無口でとっつきにくいけど、言うべきことは言って相手を論破できるような感じなのかも知れない。

 ハリウッドのゾンビ映画でも、僕のような陰気で社会性のないひょろひょろしたキャラは科学者といえどもお荷物で絶対メガネで、最後の最後で死にものぐるいで良い所を見せはするが、その行為がキッカケでクライマックス直前に名誉の死を遂げる、ストーリーの最後まで絶対残らないタイプのキャラなのだ。もしくはヒーローの登場に絡んで、『僕では力不足だったが、君ならこの窮地を救うことが出来る…任せたよヒーロー…』とか言いながら、ゾンビの研究データと未完成のワクチンかなんかを残して、弱々しく笑って血を吐いて前半もかなり初めのほうで死ぬ係だ。伏線かなんか残して。

 と、そこまで考えた僕は、じゃあ、その通りになればいいじゃないか? ということにやにわに思い至った。今日は僕にとって背水の陣的な心理状態だけに、色々と思いつくようだ。投影交代だ。僕の存在が掻き消えるほど活躍してもらうというのは、彼にとっても僕にとっても大変望ましい状態だ。いわゆる利害の一致というやつだ。彼も現場の名声が高まるほど、Aiセンター構想の実現に有利になるだろう。僕は仕事の少なくなった法医学教室で、再び日陰者として目立たず薄給で死ぬまで社会参加の真似を続けていくだけだ。頑張れアメリカ帰りドクター!…名前忘れたけど。
 ついでに幸村さんも引き取って貰えたら一石二鳥なんだがな…と、僕は都合のいいことを考えた。独身なんだろうか? ゲイかバイだとありがたい。アメリカ帰りというキャリアに期待したい。

 ここまで考えて、妄想なりになんらかの可能性を見出した僕は、疲れと思いつきのかりそめの安堵を薬に、眠気を催してきた。着替えて歯磨きして寝なきゃ…と思ったのがその日の最後の記憶だった。僕は夕飯を食べることなく、寝間着に着替えることなく、そのまま朝まで寝落ちした。