一方、その夜に、母親が予定通り寺岡さんに電話をしていた…らしい。僕は夕飯を食べて早々に自分の部屋にこもり、休み明けの英語の予習をしていた。あまり昨日までのことを考えたくなかったというのもある。あんまりいろんなことがあって、逆にボーッとしていた。ボーッとしている自分に、夕方なんとなく危機感が芽生えた。曰く、勉強しなきゃ、という…

 不得意科目の生物は受験勉強中になんとか打開策を見出したが、英語はまだ興味をそそるような決め手に欠けていた。だいたい僕がコミュニケーションのための他国の言語を興味を持って理解するということが、すでに壁だった。

 しかしそうも言っていられない現状があるので、高校1年の教科書を開きながら、ただの概念であるはずの“時間”が擬人化されしかもそれに長々とされるもったいぶった説教とか、破産寸前の鉄道と猫の駅長のサクセスストーリー(猫にサクセスという観念はないだろう…今日はよく猫の出てくる日だ)をなぜ英語で学ばねばならないのだろうなどの感想を持ちながら、乗れないテキストにここでも結局ボーッとしていた。

 もっと興味のある話題、例えば屍蝋化現象のメカニズムとか、いままで不明だったロザリア・ロンバルドのエンバーミング(屍体防腐処理)についての最近発見されたレポートとかだったらいいのにとため息をつきながら一旦教科書を閉じた。そして電話を掛け、普段は防戦一方の隆から驚くべき痛恨の一撃を食らい、かなり呆然としたまま電話を切ることになった。その時にはロザリア・ロンバルドも猫の駅長も頭の中からすっ飛んでいた。

 お前は自殺が嫌いなんだよ…

 嫌いなのかな…そうかな。一撃を食らったとはいえ、まだ僕はそれをどこかで否定していた。それを証明するために、僕は自分が死にたくなった時系列を正確に辿っていく努力をし始めていた。まず僕は自分が死んでると思っていた。思っていたというか、当然過ぎて、意識化されてもいなかった。