ヒックヒックとしゃくり上げて、胸に顔を寄せたまま涙を流し続けた。
「泣くなよ。留美子はどんな時でも明るくて、可愛いんだからよ」
「う、うるさい! 何であんたは……誰にでもそんな事言うのよ! 何で最後なのに……そんな事……」
もっと早くにそう言って、抱きしめてくれたらと、何度も心の中で叫んで。
「……最後じゃねぇよ。武司さんとも約束したし、留美子との約束もあるから。何が何でも留美子に会うから」
私の身体を離して、そう言った龍平の顔は暗くて分からない。
だけど……近付いて来たと分かる、その顔。
震えた手で肩をつかむ龍平と……私は、唇を重ねた。
どれくらいの時間、こうしていたのかは分からない。
脳ミソが溶けてしまいそうになるような快感と、胸を締め付けられるような息苦しさに襲われて、この時が永遠であるかのような錯覚に陥っていた。
私のファーストキス。
それは涙の味がして、すべてが終わる直前に起こった悲しいキスだった。
「キャハハハハハハッ!!」
そんな私達の邪魔をしたのは、あの笑い声。
そこでようやく我に返り、慌てて龍平から離れる。
「龍平……」
「……ここまでだな。留美子、絶対に約束は守れよな」
そう言って、心臓を持つ私の右手に手を添える。
「約束って……何かした?」
いつ、どんな約束を龍平としたのか思い出せないのに、手は壷の上に移動する。
「覚えてないのかよ……言っただろ? カラダ探しが終わったら、ヤらせてくれるってよ」
龍平はそう言って、私の手から心臓を払い落とした。
「キャハハハハハハッ!!」
赤い人が地下室に入って来たのか、笑い声が部屋中に響き渡る。
でも、心臓が壷に吸い込まれて。
そこから光が溢れて、私が最後に見たものは……。
優しく私に微笑みかける、龍平の笑顔だった。
「……と、……たの!?」
誰かの声が聞こえる。
遠くから、私の身体を揺すりながら。
もう朝? ママが私を起こすなんて珍しい。
「留美子!! 起きてよ!」
耳が引っ張られるような感覚の後、鼓膜が破れそうなほどの大音量に、私は思わず飛び起きた。
「な、何よいったい!? うるさいっての!」
辺りを見回してみると……そこは学校の大職員室前で、世界がヒビ割れた、あの記憶の断片と同じ場所。
「何じゃないよ! 武司も留美子も急に倒れてさ! 全然起きないんだから!」
そう言って私を心配そうにのぞき込んでいるのは……明日香さん。
「何で明日香さんがここに……そうだ! 龍平は!? 『呪い』は……」
どうも記憶がはっきりしない。
私は美紗の家の地下室で、壷の中に心臓を入れて……もしかして、元の世界に戻ったわけ?
「な、何で“さん”付けなの? 倒れた時に頭でも打った?」
「そうだぜ留美子。お前、何言ってるんだ? 龍平って誰だよ」
明日香さんだけじゃなく、高広さんまで。
あんなに仲が良かった龍平を覚えていないなんて。
いや……そうじゃない。
龍平の事を忘れたんじゃなくて、知らないんだ。
あの世界は武司さんの意識の中で、武司さんが産み出したもの。
翔太さんも、結子さんもいる。
「大丈夫かい? 柊さん」
ヌッと、私の視界に入って来た不気味な顔。
うわっ!と、心の中で悲鳴を上げたけど……これは八代先生だ。
……あっちの世界の方が良かったなあ。
なんて考えている場合じゃない!
「『赤い人』の……『呪い』を解かなきゃ」
そう呟いて立ち上がった私を、不思議そうな表情で首を傾げた翔太さん。
「留美子、お前何を言ってるんだ? 美雪が今、美子に教えてもらって、美紀の『呪い』を解こうと……」
「違う! 美紀じゃない! 本当に解かなきゃならないのは、美子の『呪い』なの!!」
話しているうちに、この世界での記憶が甦ってくる。
それと同時に、夢でも見ていたかのように、薄れていく今までの記憶。
だけど、忘れてはならない記憶だけははっきりしていて、私がやらなければならない事は覚えている。
美子の心臓を……美子に返す。
美紗の願いを叶えられるのは、私だけなのだと分かったから。
「うぅ……何なんだチクショウ。急にめまいが……」
結子さん……いや、結子に起こされて、武司がゆっくりと身体を起こした。
「キミも大丈夫かい? 柊さんといい、キミといい、いったい何が起こってるんだろうね」
「うおっ! 気持ちわりぃ顔を近付けんじゃねぇよ!!」
八代先生に、目覚めの一言。
「し、失礼だなキミは! 仮にも僕は教師で……」
「そんな事より、美子の『呪い』を解くってどういう事?夢でも見たんじゃないの?」
八代先生の話をさえぎるように、明日香が私を見つめる。
夢だったらどんなに良いか。
美子も美紀も、「呪い」もない夢ならずっと見続けていたいけど、これは夢じゃないから。
「良い!? 私達にはまだやる事があるの!! 美子の心臓を探して、美子に返すの! 美紗が……そう言ってたの!」
私の言葉に、皆あ然としたような表情を浮かべる。
無理もないよね。
突然倒れて、目を覚ましたかと思ったら変な事を口走っているんだから。
でも……。
「それはどこにある? 俺も一緒に行ってやるぜ」
その中でただひとり、声を上げたのは……武司だった。
いつも私達に反発していた武司が……何も聞かずに私に賛成してくれている。
「おいおい、お前も頭を打ったのか? いきなり何だよ、美子の心臓って」
呆れたように高広が言うけれど、武司は意見を曲げない。
「高広ぉ、テメェに何が分かるんだ!? あゆみが言ったんだよ、私達を信じてくれってな!! だから俺は、留美子を信じてやるぜ!」
覚えている。
私だけなら、本当に夢かと思うほど薄れている記憶を、武司も覚えているんだ。
そう思うと、私も勇気が湧いてきた。
「私は武司と生産棟の中庭に行く。信じられないなら、屋上に行ってみなよ。美雪が……死んでるから」
言いたくなかった言葉。
美雪はこうなる事が分かっていて、私にすべてを託したんだ。
「おいおい……知りもしないのにめったな事は言うなよ……美雪が死ぬはず……」
「だから! 嘘だと思うなら行って見てくれば良いでしょ!! 私は生産棟に行くからね! 武司! 行こう!」
翔太が悲しむ姿は見たくない。
美雪の事が大好きだったのに、もう死んでるなんて信じられないだろうから。
慌てて駆け出した翔太と、その後を追った高広の背中を見送って。
私は生産棟に向かって走った。
「待てよ留美子! ひとりでいると、あのガキが現れるだろうが!」
私の後ろを走って、武司が怒っているかのような声を上げる。
そうだった……放課後の校舎にいると、「赤い人」が現れるんだ。
「武司! あゆみが言ってたよ! お兄ちゃんを恨まないでってさ!」
「ふんっ! なんの事だそりゃあ!! テメェなんぞがあゆみを語るんじゃねぇよ!」
そう言いつつも、少しうれしそう。
生産棟の一番奥の階段を下りて、夜の校舎で中庭に出たドアへと急ぐ。
暗い廊下を走り、その前にやって来た私は、すぐにドアを開けて、中庭に飛び出した。
「こんな所にあのガキの心臓があるのかよ。で? どこにあるんだ?」
武司に尋ねられて、例の岩へと駆け寄った私は、何とかそれを動かそうとしたけど……全然動かない。
「この下……なんだけど! あーもう!! 高広も連れて来れば良かった!」
「また戻るつもりかよ? やるしかねぇだろ。良いか? 蹴ってこれを転がすぞ」
そう言って、私の隣で岩に足をかけた武司。
何となくだけど……その姿が龍平とダブって、うなずくと同時に私も岩に足をかけた。
「行くぞ、せーのっ!!」
武司の合図と共に、私は足に力を込めた。
私も武司も全力で押したからか、グラリと動いた縦長の岩は、ゆっくりと地面の上に転がった。
この下に、美子の心臓があるんだ。
すぐさまかがんで地面を掘った私は、その物体を手にした。
「あった……美紗が言った通りだ」
この世界に戻る直前まで持っていた、美子の心臓。
それと同じ物が、また私の手の中にある。
「気持ちわりぃな。でもよ、これでテメェが行ってる事は嘘じゃなかったって証明されたわけだ。相島は……本当に死んだのかよ」
少しだけ……美雪の事を話した時に、かすかにだけど武司が寂しそうな表情に変わった。
「死んだよ……美雪もあゆみも美紗も。私が大好きな友達は皆死んじゃった。だから、その想いを無駄にしちゃいけないんだよ」
武司の意識の世界で、私が何をしていたのかという記憶は薄れているけど、大事な人達は忘れてたまるか。
悲しくて泣き出しそうだけど、今はまだ泣く時じゃない。
その想いが、こうして私を動かしているのだ。
「あゆみ……。それで? 次は何だ。これで終わりなわけはねぇんだろ?」
武司にそう言われ、私は心臓を手に立ち上がった。
「これを、美子に返せって美紗は言ったけど……」
最後の日、美紗の部屋で頬をなでられながら聞いた話。
私にしかできない、心臓を美子に返すという大仕事。
そして……あの地下室に行って壷を破壊すれば、すべてが終わる。
だけど、それには2つ、何とかしないといけない大きな壁が残っていた。
「とりあえず皆の所に戻るよ! 八代先生なら……知ってるかもしれない!」
そう言って武司の背中を押して、校舎の中に戻った。
何が何だか分からずに、私に言われるがままの武司。
「おい留美子! 本当に『呪い』なんて解けるんだろうな!? もしも無理なら……テメェら皆殺しだぞ!」
「うるっさい! 『赤い人』に皆殺しにされたくなかったら、黙って言う事聞きなよ!!」