階段の隣の教室、家政学室、調べる所はいっぱいあると思うけど、まずは逃げる事が先だ。
逃げ切れなければ殺される。
その時点で私の今日が終わってしまうから。
赤い人に追い付かれる前にと、階段を上っている最中……ふと感じた気配に横を見ると。
私に伸びる赤い手。
階段の裏側にはり付いている赤い人の姿がそこにあったのだ。
顔に迫る赤い手。
反射的に屈んだ私はその手をよけて、這うようにして急いで階段を上り切り、廊下に飛び出した。
そうだ、そうだよ!
赤い人は壁も天井も関係ない。
どこだって床みたいにして、階段すら無視して移動するんだから、すぐに追い付かれるよ!
どこに逃げるか……なんて考える暇もない。
私は工業棟に向かって必死に走って、廊下の突き当たりにあるドアの中に逃げ込む事しか頭になかった。
背後に迫る無邪気な殺意。
小さい女の子なのに、廊下いっぱいを埋め尽くす、大きな怪物のような存在感。
追い付かれたら最後、私なんか虫けらみたいに潰される。
「キャハハハッ! 待てぇ!!」
「誰が待つかっての! いい加減諦めてよ!」
気合いを入れるように叫んだ私は、正面の部屋のドアに手を伸ばした。
後ちょっと……後ちょっとで部屋の中に入れる。
追い詰められるだけかもしれないけど、うまく部屋の中を動き回れば、もしかしたら逃げる事ができるかもしれない。
それを期待して、手をかけたドア。
素早く開けて、室内に入った私は、どうしようもない状況に追い込まれた事に気付いた。
「な、何……ここ!!」
部屋の中を大きく、グルッと回ればもしかしたら逃げられるかもしれないと考えていた。
だけどここは、工具がところ狭しと置かれている小さな準備室。
逃げるどころか……振り返る事すらできない最悪の場所に飛び込んでしまったのだ。
「キャハハハハッ!」
背後には赤い人が迫っていて、引き返す時間なんてもうない。
私は……完全に追い詰められてしまった。
「ど、どうするのどうするの!? どうすれば良いのよ!? こんなところで!」
そう叫びながらも、部屋の奥に歩を進めた私は、棚に置かれている工具の中から、武器になりそうな物を探した。
時間がない。
武器を持ったとしても、赤い人相手に役に立つかも分からない。
だけど私は棚の工具を漁り、鉄パイプのような物を手に取って握り締めた。
振り返っちゃならないのに……この部屋には移動するスペースがほとんどない。
「あーもうっ! 振り返らなきゃ良いんでしょ!!」
このどうしようもない状況に私は、左側にある棚に背中を付けて、ドアから赤い人が入って来るのを、鉄パイプを構えて待った。
どうしよう、怖いよ!
工業棟の職員室でもそうだったけど、どうして私は追い詰められてしまうのだろう。
ロッカーの中といい、こんな倉庫みたいな部屋といい、逃げる事ができないじゃない!
「キャハハハハッ! ……ハアッ! お姉ちゃん、遊ぼう」
部屋の中に入って来た赤い人が、グリンと首を回して私の方を向く。
その目ににらまれて……まるで空気が刃物のように、するどく私に襲いかかる。
少しでも動けば切り刻まれてしまいそう。
だけど、動かなければ絶対に殺されてしまう。
「あ、あんたなんかと遊ぶかっての!」
声が震える……。
赤い人が一歩、また一歩と私に近づいて来るのは、死が近づいているのと同じ。
まだ死ねない!
せめて後ひとつ、カラダを見つけるまでは!
「いやっ! 来ないでっ!!」
さらに一歩、赤い人が足を前に出した瞬間、私は構えていた鉄パイプを、その頭部目がけて振り下ろした。
ゴツッ! という鈍い音がしたけど、赤い人は平然としていて……。
何度も何度も、祈るような気持ちで私は鉄パイプを頭部に振り下ろした。
いくら殴っても、赤い人にはまったく効果がなくて。
不気味な笑みを浮かべたまま、お構いなしに前進してくる。
「あっちに……行ってよっ!」
迫る赤い人に恐怖して、震える手でもう一撃。
鉄パイプを赤い人の頭部に振り下ろした。
だけど……それは、赤い人の左手にはばまれて、鉄パイプをつかまれてしまったのだ。
「ねぇ、お姉ちゃん。これ、何て遊び? 次は……私の番だよね」
赤い人はそう言うと、鉄パイプをつかむ手に力を込め、ギリギリと捻り上げると、私の手から強引にそれを奪い取った。
わ、私の番って何よ……。
まさか、これを遊びとか思ってるわけじゃないでしょうね!?
鉄パイプを手に、私に一歩近づく赤い人。
そして……その鉄パイプが私の頭部に振り下ろされた。
バキッ!
という、何かが砕けたような音が聞こえて……私の体が何度も揺れた感覚だけはあった。
そして、何も考えられずに……指一本動かす事もできずに……。
私は、この狭い部屋の中で、赤い人に頭部を何度も殴られて……死んでしまった。
頭がフラフラする……吐きそうなくらい気持ち悪い。
昨日から振り続く雨が、窓とポツポツと叩いている。
そのせいか、朝だというのに部屋の中は薄暗くて。
散々殴打された頭がズキズキと痛んでいた。
「痛っ……くぅぅっ! 何よ何よ、あんなに殴る事ないじゃないのよっ! いったい私が何したっての!?」
身体を起こし、次の日になったんだという事を再確認した私は、昨日の赤い人の行動に腹を立てた。
何もあんな硬い鉄パイプで殴らなくても良いじゃない。
そりゃあ……私だって赤い人を殴ったよ?
10回くらいは。
だけど、力の差がありすぎるんだからさ、私の100回くらいが赤い人の1回だっての!
……でも、1回殴られただけでほぼ即死だったんだよねぇ。
あんな風に追い詰められたら、完全に死亡確定だよ。
ベッドから脚を下ろし、立ち上がった私は、大きく伸びをした。
今日は……小野山美紗の家に行かなきゃならないんだよね。
魔術とか妖術とか、私には何の興味もないし、正直行きたいとは思わない。
でも、龍平には行けって言っちゃったからなあ。
何時に行くという約束はしてないけど、適当な時間に行けば良いよね。
部屋着のまま、着替えもせずにキッチンに下りた私は、何か食べるものがないか冷蔵庫をあさっていた。
うわっ、何もない。
昨日の夜にいなかったんだから、私の晩ご飯くらいあっても良いのに。
「ねぇ、ママ! 朝ご飯ないの!? お腹減ったんだけど!」
リビングのソファで寝転がっているママに尋ねてみると、寝ぼけたような声で呟く。
「あんたが晩ご飯食べてなかったから、ママが代わりに食べたんじゃないの。だから、ママの朝ご飯はいらないわ。留美ちゃんの分だけで良いわよ」
留美ちゃんの分だけで……じゃないっての!
その私が食べる分がないってのに。
「もうっ! おばあちゃんはどこに行ったのよ!」
「おばあちゃんは老人会の旅行だって。帰るのは明日」
あーっ! 我が家の唯一の常識人がいないなんて!
普段は口うるさいおばあちゃんも、家の事だけはしっかりするから好きなのに。
「はぁ……コンビニにでも行ってこようかな」
どうせ小野山家に行くつもりだったし、少し早いけどついでに行ってみようかな。
とりあえず服に着替えるために、私は部屋に向かった。
昨日のうちに、他の皆はどれだけカラダを見つける事ができたのかを気にしながら。
部屋で着替えて、携帯電話を手に取った私は、再び一階に下りた。
「ママ、今日は友達のとこに行くから、ご飯いらないからね」
「今日も……の間違いでしょ? 留美ちゃんがいなくても困らないし、別に良いよ」
リビングに顔を出して、わざわざ伝えたのに。
なんだろうね、この母親は。
それが子供に向かって言うセリフ!?
……ま、いつもの事だから腹も立たないかな。
リビングのドアを閉めた私は、玄関に向かった。
昨日の小野山美紗の話からすると、あの子も何か探してるんだよね?
その何かが、魔術だか何だかに必要で……。
あー……ダメだ。
考えてたら頭が痛くなってきた。
そっちの事は美紗に任せれば良いや。
それより問題はカラダ探しの方だよね。
昨日のうちにあと2個か3個くらいは見つかるかと思っていたのに、龍平にあの部屋を任せたとたん、赤い人に見つかっちゃったし……。
あ、そう言えば龍平と変な取り引きしたんだった。
私、カラダ探しが終わってからって言ったよね?
そうじゃなきゃ、いつ襲われるか……。
そんな不安を感じながら、玄関で靴を履いた私は家を出た。
家から徒歩10分、国道沿いにある一番近くのコンビニ。
この4月になるまで、皆で良く利用したけど、今はあまり行ってない。
「なんだかここも久し振りだなあ。明日香さんにアイスとかおごってもらったよねぇ」
今は誰も奢ってくれる人なんていないけど。
私ほどの美人に、誰もおごろうとしないのがおかしいんだよ、うん。
なんて考えながら、とりあえず雑誌のコーナーでファッション誌をパラパラと眺める。
なんか、どの女の子も私と比べるとまだまだだねぇ。
私ってこんなに美人なのに……どうして彼氏ができないんだか。
容姿には何の問題もないはずだよ。
だとしたら何?