「悪い事は言わないから、私から離れずについて来てちょうだい」
 そう言って彼女は再び歩き出した為、私は慌ててその背中を追いかけた。
 周囲を見渡せば、相変わらずそこには棚に収まった本、本、本……
 それに気を取られて歩みが遅れ始めていた私を、彼女は待っていてくれたようである。
 しかし、事前に“再生天使”リピテルからはかなり大きな図書館だとは聞いていたけれど、これはちょっと尋常じゃないなと私は思った。
 館内が薄暗い事を度外視したとしても、通路の奥が見えないなんておかし過ぎる。
 そう、この本棚の密林には壁など無く、代わりに地平線が存在しているのだ。
 彼方に地平線?
 図書館の中に?
 冗談でしょう?
 悪い夢なら、早く醒めて欲しいものである。
「初めてここに来た人は、十中八九そんな反応をするもんだよ。私も昔はそうだったし」
 私の五歩前を歩く彼女は穏やかに語りかけてくるものの、こちらを振り返る事もなく、ただ真っ直ぐに通路を進んでいく。
 油断すれば私でも迷う、との言はまんざらでもないようだ。
 ずっと圏外を示し続けている携帯電話のデジタル時計によれば、かれこれ私達は三十分以上も歩き続けている事になる。
 毎日何キロも走るトレーニングを繰り返してきた私も、流石にうんざりして来ていた。
 それにしても、彼女。
 身長は見たところ百六十後半──比較的小柄な“私の彼氏”よりも少し高い位。
 歳は私より少し上だろうか。
 前髪は額に垂らし、後ろも肩口で切り揃えられた、焦茶色のボブ。
 袖無しの茶色いシャツと大きなポケットが付いた、丈夫そうな生地の緑のハーフパンツ、そして脛(スネ)を金属でガードした特徴的なブーツが、彼女に活動的な印象を与えている。
 つまり、外見としてはあの白い天使?に比べれば、特別変わっていると言う風ではない。
 しかし、それは図書館の中で見かけるような服装にしては異彩を放っていると言える。
 そんな彼女は、先ほど私に向かってサリジェと名乗った。
 無論、そのような名の知人は、私──加賀由加には存在しない。
 正真正銘、知らない人である。