ただ、●は気が付いた。
 その時は既に手遅れだったのだけれど、気付いた所で何かが出来た訳では無いのだけれど、とにかく●は気付いてしまった。
 この穴が物凄い勢いで広がっている事に。
 それはむしろ、穴と言うよりも裂け目。
 まるで破れて千切れそうな漫画本の一ページのようだ、と●は思った。
 後に知る事になるのだが、その感想はあながち見当外れなどでは無く。
 しかし、この時の●にはそんな事は知る由も無く。
 飲み込まれる。
 世界が飲み込まれる。
 全てが消える。
 灰色の無に食い尽くされていく。
 そんな様を、●はただ何の感慨もなく眺めていた。
 そう、●は何かを思う心すら持っていないのだから。
 だから──そうするのが当たり前。
 全てと共に自身も消滅していく最中、●はもう一つだけ気になる事を見つけてしまうのだった。
 それは、自分の事について。
(ああ……そう言えば、●は自分の姿の描写すら無かったんだなあ)
 ●は、名も外見も性格も職業も生い立ちもその他どんな設定も台詞も、それどころか自分を指す一人称すらも設定されていない、ただの通行人Aだった。
 なんという道化ぶり。
 そんな事にすら、●は気付かなかったなんて。
 消えゆく意識の片隅で、●──いや、僕?/私?/俺?/ウチ?/儂?/オイラ?/吾輩?/etcetc...?はほんの少しだけ自分を知ったような“気がした”。
それは“気がした”だけの、錯覚だったのかもしれなかったけれど、それは意外と悪い“気分”ではない。
 しかし滑稽だとは“思って”も、間抜けだとは思わない。
 本来なら自我の無い●達は、そこまで考えが至る事など有り得ないのだから。
 それが、その奇跡が、全知全能の神様による悪戯なのか、最高の悟りに行き着いた釈迦如来の気まぐれなのか、それとも運命という名の必然から外れた誤差なのか、はたまたどこぞの図書館の司書の陰謀なのかは、いまいち計りかねる所なのだけれど。



 ……ところで、司書って何だろう?