「由加、急ごう。何が起こってるのかは分からないけど、ここに居ちゃいけない気が──由加?」
 由加からは返事は無い。
 立ち尽くしたまま、彼女は動こうとしなかった。
「は──はは、俺のせいだ。俺が足を怪我さえしてなけりゃ、二人とも走れたんじゃないか。よく分からない事なんて全部あの赤髪の子に任せてさ、さっさと逃げ出せたんじゃないか。
 馬鹿だなぁ、せめて由加だけでも走って逃げれば良かったのに、俺なんかに付き合うからだろう? ほら、早く行こうぜ」
 努めて冷静を装いつつ、しかし少し責めるように話しかけてみるが、やはり由加からは反応が無い。
 当然だ。

 いつの間にか、由加の頭の七割が空中に開いた灰色の裂け目に飲み込まれていたのだから。

 どういった理屈によるものか、彼女の体は押しても引いても頑として動かず、灰色の穴に突っ込んだ頭部も引き抜けそうな気配が無い。
 その体は生きているのか死んでいるのかも分からない程に、酷く無機質な物に感じた。
 まるで、人形のようだ。
 等身大の人形のようだ。
 頭の無い人形のようだ。
 頭の上半分を失った形。
 それは人間の形と呼べるのだろうか。
 辛うじて残っている口が、ごめんね、と言おうとして動いたように見えた。
 それは、彼女の言葉か、あるいは幻聴か。

 あはは。
 大樹、足の怪我は大丈夫?
 一人でも歩けるかな?
 頑張れっ!
 なーんてね。
 私の方は、ちょっとこれ以上は無理っぽいんだよね。
 先に一人で行ってよ。
 私は一緒に行けそうにないんだ。
 死んじゃ駄目だぞ?
 ……ごめんね。
 ………………。

「うわあああああああああああああああああああああああっ!?」
 俺の叫びが薄暗い裏路地に虚しく響いた。
「何でだ!? 俺達が一体何をしたって言うんだ!? 理不尽だろこんなの!! 意味分かんねーよ!! 気付かない内に何か取り返しのつかないほど悪い事してたなら謝るよ!! 償うよ!! でもこんな、いきなりわけ分かんねー事になるのは無いだろ!? 許してください、助けてください、お願いします、ごめんなさい、すみません──」