ピアノの音色に心奪われてから


小学校も中学校でも放課後に音楽室のピアノや体育館のピアノを独占してた。


吹奏楽部が居ようと

体育館にはバレー部 バスケ部 バドミントン部が居ようと 気にせず

おかまいなしに

完全に自分の世界に入って

完全下校時刻まで粘ったり

土日・祝日も学校に通って黙々とピアノに打ち込んだ。




また同じことを実践しよう。



早くピアノに触れたい


放課後が待ち遠しい。






「じゃあね、また明日」


待ち焦がれた このときが来た。


「またね」


「ばいばーい」



一分一秒も待っていられず猛ダッシュで音楽室へと駆け出した。




音楽室の引き戸に手をかざすが



うんっ!

開かない


カギがかかってる…。



体育館だ。


次は体育館に急げ!



左回転し、踏み込んだ右足が止まる。



うちの高校の



体育館には


ピアノ ない…。


一瞬 思考がとまったが

職員室に行って音楽室のカギを借りよう。


という 1つの結論が導きだされた。





職員室に行くと顔は知ってるが名前がわからない男性の先生がおり


「音楽室のカギを貸して欲しいんです」


と お願いしたら


「音楽室に忘れ物かな?」


「……はい」


なんとも曖昧な返事をしてしまった。


「窓は開けないでね」


「……いえ

あの…

……その

ピアノを下校時間まで練習したいんです」


うつ向きながら、元気のない声で訴えると


「困ったな、私の一存で良いです、なんて返事が出来なくて…。
今日は音楽担当の田中先生がいないしな…」


ぶつぶつと お念仏のように唱え


なんだか知らないけど先生を困らせてしまった。



公立学校で講師(非正規雇用の教員)として働く、音楽の先生は週一しか学校に来ない。


放課後 ピアノを練習するのにも大人の事情があるのか…。


「先生、迷惑かけちゃって すみませんでした。
友達の家に伺ってみます」


「お… おう 全然、迷惑はかかってないんだが、力になれなくて すまんな」


「いえ、本当にありがとうございました」



と職員室から立ち去った。





どうしよう!



どうしよう!!




ピアノなんて持ってる友達なんていないよー!








がむしゃらに赤い折り畳み自転車を乗り回し

気がつけば 自然と ここにたどり着いた。




目の前には優しい趣で微笑む聖母 マリア。




こういうときだけ神頼みで 図々しいがマリア像に祈りを捧げた。





と そこへ…


「あらっ、めずらしい お客さまだわ」


「…お久しぶりです。
ごぶさたしておりました」


花差しを持ったシスターがあらわれ、静かに笑いながらマリアの前に花を手向(たむ)けた。

花差しの花花たちは鮮やかに そして誇らしげに咲き乱れている。


「そんな切ない顔なんてしないで!
こんな嬉しいことはないわ」


久しぶりにお会いしたシスターは 目尻に小じわが目立つようになってたが相も変わらず満面の笑顔で優しさを与えて下さった。



シスターに会いたい。


会いたいけど 会えない。


会ってはいけない。


人に甘えてばかりではいけない。

強くならなきゃ!

と自分にルールを作った。



「あの、シスター…」


「何か理由があるにしても私を慕って 今日、ここに来てくれた。
これほど喜ばしいことなどない。
せっかく来てくれたんだし久しぶりに私のピアノを聞いていって」


「はい!」



この修道院にはパイプオルガンはなくアップライトがただ1台あるのみ。


ピアノの上にはメトロノームが置かれ そして その横には…


「それ…」


「このトロフィーは誕生日に少し早かったけど私の還暦のお祝いにもらった物なの。

たくさんのお祝いを頂いたけど、このトロフィーがもらって一番 嬉しかった。

そして今では私の宝物よ」


言葉にならなかった。


グランドピアノをモチーフとした優勝トロフィー。


1年半前、母の愛するショパンで


ピアノで


コンクールで優勝して喜ばせたい!

とただ それだけの思いで 出場したコンクールだった。



このトロフィーを手にしたら


一刻も早くシスターに知らせたくて


見てほしくて


ドレスから着替えて すぐ、一目散に自転車のペダルをこいでシスターに会いに来た。


それで あたしの気持ちは満たされ トロフィーを置き忘れてしまったんだ。



その後、母を想うのがつらくて

早く母を忘れないと…

心配かけられない。

母との思い出を封印するかのように

ピアノ、そしてシスターの優しさまでも封じ込めた。


そのためトロフィーの存在も あたしから忘れ去られてたが


なんだか このトロフィーは自分の価値をわかってくれる人

大切にしてくれる人を選んだよう…。


でも、シスターに こーやって お礼が出来てたなんて…。



シスターが奏でる華麗なる大円舞曲は

やはり、どんなコンクールで優勝した人が奏でるショパンよりも魂が揺さぶられる。

甘くロマンティックで美しい音色に とろけそうだった。


あたしも甘く華麗で心に染み込む、やさしい演奏がしたい!


とシスターの奏でるピアノの音色に 心奪われたのは、それは小学4年のときだった。


近所の駄菓子屋の おばあちゃんの訃報で


この修道院で葬儀が行われた。



学校帰りに自転車で20分かけて数人の友達と おばあちゃんにお別れを告げに来た。



青い緑に囲まれた ここ修道院は東京にありながら東京じゃないような異空間で

その緑の中に入るのに ちょっと勇気が必要だった。


緑のトンネルをくぐると

白いお城のような建物がどっしりと待ち構えていた。



生前、おばあちゃんが自分の葬儀に流して欲しいとリクエストしてた

ショパン作曲 エチュード ホ長調 Op.10-3「別れの曲」


よくTVでも映画でも使用される

美しく甘い旋律はシスターが命を吹き込むことで より一層 輝きをみせた。



シスターの美しいピアノ演奏が忘れられなくて 後日、修道院に伺うと



シスターのご好意で その日から あたしのピアノ人生が始まった。



祈祷と、清掃や調理・片付けなどの日常雑務に事務もあり、

また児童養護施設を併設しているので、それらに関連した業務。

日曜学校の開設や指導など。

さらにコーラス(聖歌隊)の指導や伴奏の指導をしているし、農作業もしているので


忙しい生活を送っているにも関わらず


週2ペースであたしのために貴重な時間を割いてくださった。





シスターが華麗なる大円舞曲をフィッニッシュする。


美しいだけじゃない、パワフルでエネルギッシュな演奏に圧巻する。



『ぱちぱちぱち』


「やっぱりシスターのショパンは素晴らしいです」


熱いエールを贈らずにはいられない。



「かつて あなたがコンクールで披露した曲よ」


「あの… その…

また あたしにピアノを教えて頂けませんでしょうか!」


シスターの目をしっかりと見て訴えると

シスターは やわらかく にっこりと笑い


「もちろんよ」


と おっしゃって下さった。



その瞬間 母が亡くなってから ぽっかりと空いた心の穴に穏やかな風が吹き、止まってた 心の時計の針が少しだけ進んだような気がした。



「…さらに図々しくて申し訳ないんですがこの修道院で式典や葬儀、お祈りがない日に こちらの礼拝室のピアノを使用させて頂きたいんです」


「ええ、いいわよ」


ほっと胸を撫で下ろした。


以前も そうだった。


お母さんが入院して

花音のお迎えに夕食作りと あたしの仕事になり

一段落ついたあと花音と一緒に

シスターがゆっくり休みたい時間におじゃましてピアノの練習に付き合って頂いたこともあった。


いつだってシスターは あたしの面倒なお願いを受け入れて下さった。



「琴羽ちゃんが姿を見せなくなってから、宗教の壁を越えて近隣住人方々が手作りの小さな音楽ホールを修道院の後ろに作って頂いたの。

マリア様が見ている前でジャズやロックは披露出来ない。

誰でも気軽に演奏を披露し合おうってことだったんだけど」


「はあ…」


「いつも伴奏をしてくれてた琴羽ちゃんが急にいなくなったから 気軽に練習できる場、披露出来る場があれば

いつか また戻って来てくれるんじゃないのかと思ったんじゃないのかしら」


一粒の熱い涙が頬をつたう。


「あたしのピアノを楽しみに待ってて下さった方がいらっしゃるなんて…」


「人種も宗教の枠を飛び越えて、音楽の力って偉大だなって知らしめられたわ」


あたし バカだ。
本当にバカだ


「音楽ホールに使わなくなったアップライトのピアノを2台も寄贈させて頂いたので良かったら、そちらも使用してね」


「はい!」





こうして あたしの新たなるピアノの挑戦がスタートした。





律井さんがいる生活に違和感がなくなり

ピアノの感覚も戻そうと本日も修道院にピアノの練習に行こうと思っていたが…。



金曜日の昼休み


律井さんお手製の色とりどりの鮮やかなお弁当をバックから取り出そうとしたら、

バックの中が青く輝いていた。

正しくは青い光が点灯してる。


もしかして…、

と こっそりスマフォを確認すると


24時間、いつでも、どこでも、無料で好きなだけ通話やメールが楽しめる新しいコミュニケーションが謳(うた)い文句の とあるアプリを通して


奏斗さまからメールがきていた。



でも 友達には まだスマフォを教えてない。


なので


「急にトイレに行きたくなったから行ってくるね」


「行ってらっしゃい」


トイレの個室で確認すると


『放課後 すぐに、正門に来て欲しい』


と ただ それだけのメールだった。


ところで このメールに気づかず未読のままだったら どーしたんだろ…。