翌日、礼二はいつもより早く家を出た。午前九時二十五分。晴れ。彼は自転車で坂道を上がっている。早く来た理由、それは森永と顔を合わせるのを、なんとなく避けたかったからだ。

毎日坂道を上がる森永を思い浮かべた。

今思えば、森永の目的地は中央図書館だったのだ。坂道から図書館まで十分そこそこ。これは礼二が歩いた場合なので、森永はもう少し時間かかるかも知れない。

礼二は中央図書館に寄るかどうかためらった。彼は腕時計を見た。時刻は九時半前。考えた末、図書館に寄ることにした。もちろん水谷 玲がいつもの場所にいるかどうかはわからない。

いつも水谷 玲の居る窓際を見た。いない。彼女はまだいなかった。どうやら早く来過ぎたようだ。礼二は短く息を吐き、塾へ向かうため自転車を反転させた。

「仲間…くん、、?」

礼二が力強くペダルを漕ごうとした時だった。聞き覚えのある声だ。忘れることのできない声の質。彼はゆっくり振り返った

大きい手提げ鞄を肩に掛けた水谷 玲が立っている

礼二は息を呑んだ。途端に後頭部がどくんどくんと脈打つ。高揚感のある緊張が彼を襲った。恋。言葉がうまく出なかった

「おはようございます」

玲は軽く会釈をした

「おは──」礼二の声はかすんでいた。彼は咳払いすると「おはようございます」と云った

「偶然──。」玲は訝しげに訊いた。「あ、俺この近くの塾に通ってんだ。だから、なんとなく近くまで来たんだけど」礼二は早口で云った

「そうなんですか」玲は彼の焦りがちな口調に笑った。礼二は彼女に笑みを返した。ぎこちない笑顔だった

「いつも来るの?図書館」

「はい、大体ここで勉強してます」

「そうなんだ」

沈黙が恐かった。しかし礼二の話題の歯車は思うようにうまく噛み合わない

「あ、えーと」彼は言葉を探していた

「近くの塾って、河原川塾のことですか」玲が訊いてきた

「あ。う、うん」

「えっ、そうなの?河原川塾って入るだけでも物凄く大変って聞いたことある」

「そう──らしいね」礼二は照れ隠しに、こめかみを掻いた

「あの、将来の夢ってありますか?」

「一応、医者です」

「わぁ。すごいですね。尊敬します」彼女は両手を胸の前で握り、尊敬のまなざしで礼二を見上げた