中尾真也。例の事件と変人王子というあだ名はあまりにも有名だ。

寒いねーしかし、と何度も口にしている。頭髪も濡れてぺしゃんこになっていた。

里子と目が合うと、中尾は屈託のない笑みを浮かべ「元気かい、お里」といった。





「森永里子ちゃんか、ん~お里。君は今日からお里だ。ザ・エレガントネーミング」というと、Vサインと屈託のない笑顔を見せた。

二年に進級した当時、最初に話かけてきたのは中尾真也だった。教室の前の廊下だと記憶している。

里子は中尾の言葉に応えることなく、俯いたまま彼を横切った。中尾は、けたけたと笑っていた。

里子は誰とも話す気はなかった。周りもそんな彼女の雰囲気を察してか、必要がない限り、誰も里子に声をかけなかった。そう、中尾真也以外は。

中尾もしょっちゅう里子に話し掛けるわけでも、しつこく付きまとうわけでもない。誰に対してもこうなのだ。悪意のない笑顔で、どんな相手でも喋りかける。

例の事件が起こるまでは、中尾はクラスで人気者だった。彼のさわやかな笑顔に好意を寄せる女生徒も数多くいた。

例の事件とは───

中尾は男女問わず誰とでも親しく接する。告白された数も相当だったに違いない。しかし彼は一切彼女を作らなかった。

次第に女生徒から反感を買うようになっていったのだ。もちろん告白に散った女の逆恨みである。

一学期の中間試験三日前、昼休みに事件は起こった。

一部の女生徒が、中尾の天真爛漫な態度に、反感を持つ男子生徒を使い、彼をシメあげる計画を実行に移したのだ。

体躯の大きな男子生徒が教室やってきた。柔道部の安岡だ。柔道のスポーツ推薦で我が校にやってきた、将来有望な柔道家だ。校内でも有名だった。

彼は中尾を、命令口調で呼び出した。後ろには複数の男女が、彼をにらみつけている。

中尾は彼等を見て臆せずにこういった。

「群なきゃ行動できない君たちに従うつもりはないっちゅーの」

言い終えた後で、彼はおどけながら舌を出した。

その行為を見て安岡はキレた。教室内で彼が中尾に殴りかかったのだ。暴走した安岡を、誰も止めることが出来ず、生徒全員がぼう然と眺めていた。

里子も現場にいた。中尾が紙くずのように殴られているのを、震えながら傍観していた。