20代前半、悶々としていた俺が突き抜けるきっかけになったアメリカ。
日本にいて、自分が自分じゃない姿で周りと波長を合わせていたら、絶対に後悔するだろうって思った。 どう転んでも自分で責任を取る。 選んだ場所は西海岸にある Los Angeles だ
った。
ホームスティでお世話になったホストファミリーの家から大学付属の語学学校へ通う事になる。 そこには色んな国からアメリカの文化や英語を学ぼうとする奴らがいて、もちろん中には同じ日本人も大勢いた。
日本人同士がつるみ、日本語で会話をし、日本でしていた生活をそのままアメリカに持って来ただけの奴ら。 俺は 『英語を完全にマスターする』という強い意志と目標があった為、たまに電話で日本にいる親や友人と話す時以外は日本語を完全にシャットアウト、日本食まで断ち切った。
英語の基本すら知らない俺は、幼児レベルの『A,B,C』からのスタート。 もちろん他の日本人からは馬鹿にされたが、気にせずひたすら勉強に励んでいた。
絶対に誰にも負けない・・・この辛さを乗り越えれば、必ず自分の人生に何か光が見えてくるはずと信じていた。
日本にいて、自分が自分じゃない姿で周りと波長を合わせていたら、絶対に後悔するだろうって思った。 どう転んでも自分で責任を取る。 選んだ場所は西海岸にある Los Angeles だ
った。
ホームスティでお世話になったホストファミリーの家から大学付属の語学学校へ通う事になる。 そこには色んな国からアメリカの文化や英語を学ぼうとする奴らがいて、もちろん中には同じ日本人も大勢いた。
日本人同士がつるみ、日本語で会話をし、日本でしていた生活をそのままアメリカに持って来ただけの奴ら。 俺は 『英語を完全にマスターする』という強い意志と目標があった為、たまに電話で日本にいる親や友人と話す時以外は日本語を完全にシャットアウト、日本食まで断ち切った。
英語の基本すら知らない俺は、幼児レベルの『A,B,C』からのスタート。 もちろん他の日本人からは馬鹿にされたが、気にせずひたすら勉強に励んでいた。
絶対に誰にも負けない・・・この辛さを乗り越えれば、必ず自分の人生に何か光が見えてくるはずと信じていた。