「アガサユキコという女に、これを渡して欲しいんだ」
「……アガ…?アガサ?」
井伏はチっと舌を鳴らして、胸ポケットからボールペンを取り出し
『おてもと』とかかれた割り箸の袋に、漢字で『阿笠由紀子』と書き、それを俺の前まで机の上で滑らせた。
「あがさ、ゆきこ…」
俺は頷くも、すぐに「誰だよ!」と心の中で突っ込んだ。
「明日の午後六時、駅前の鯨のオブジェの前に女は来る。そしたらこれを渡してくれ」
「はぁ、あの、井伏さんが、直接渡すことは無理なんですか?」
「無理だから頼んでんだろうが」
「すいません…」
「俺は明日から旅に出る。しばらく帰らない」
「旅……ですか」
なんだよ、旅って…。うさんくせー。
あーだこーだ言っている内に、茶封筒は俺の手に。
気がつけば、井伏のさば味噌定食もからになっている。
きれいに完食だ。
井伏は満足な顔で楊枝で歯の隙間を突きながら
立ちすくむ俺を無視して、「ごちそうさん」と立ち上がり、お勘定を済ませた。