奏葉の手から、握り締めていたボストンバックが力なく落ちる。

気付くと彼女は、俺に背を向けながら小さく肩を震わせていた。


「そわ?」

優しく呼びかけると、奏葉は俯いてゆるゆると何度も首を横に振った。


「本当はわかってる」

静かに首を振りながら、奏葉がつぶやく。


「パパやあの女が悪いわけじゃないことも。私がパパとあの女の幸せの邪魔をしてきたことも。本当は初めからちゃんとわかってたけど、それを認めるのはずっと怖かった。私がママを裏切るような気がして。大好きだったママのことを永遠に忘れてしまうような気がして」

そう言った奏葉の声は少し震えていて、彼女が泣いているのがわかった。


「私があの家にいるとみんなが幸せになれない。パパもあの女も、春陽も。それから、空から見ているママも――……」

奏葉が俺に背を向けたまま、空を見上げる。

彼女と一緒に見上げた空は、灰色の雲に覆われていて月も星も見えなかった。