猿渡から見えない場所まで来ると、「もう離れてよ!」と杏子は健一の腕を払いのけた。


「はいはい」


健一は、名残惜しく杏子から離れた。


「あんなんで上手くいくん?」


「わからん」


「しかもあれ何よ!『杏子』とか呼んで!」


「付き合ってる設定やから、いいやん」


健一は、付き合っている設定というのをいいことに名前で呼んだ。

健一がしれっと言うと、杏子俯いてしまった。

今は、告白にはまだ早いんだ。

そうわかっているのに、健一の脳は、思考回路が狂っているようで、制御不能となっていた。



「それか、ほんまに付き合う?」


しまった。と思ったときは後の祭りだった。


杏子の表情は曇り、俯いてしまった。


「なぁんてね。杏子ちゃんから言ってもらわなあかんからな・・・」



何も言わない杏子に、すぐにさっきの言葉を冗談にした。


健一の気持ちが通じたのか、杏子は顔を上げてニッコリと笑った。


その笑顔のまま杏子は、小さな声で「ごめん」と謝った。


―――まだあかんよな・・・。焦りすぎやんな・・・こんなことしてたらあかんな・・・。


健一は、自分に言い聞かせようと、必死だった。


健一が反省をしていると、杏子はある光景に気づいた。


「ねぇ、あれ見て」


「ん?」


杏子に言われるままに、窓の外から下を見下ろした。


「あっ!」


3階の廊下から見えたのは、中庭で向かい合う猿渡と杉村の姿だった。


「早くないか?さっき言ったばっかりやで?」


健一の言葉に、杏子は振り返り、ニヤリと笑っていた。まるで小悪魔のようだ。


「健一さん、行きますか?」


「杏子さん、行きましょうか」


健一たちは、にやける顔を堪えながら、中庭へ走った。



「相変わらず、お前、早いな」


「走るのだけが取り柄やから」


二人は同じスピードで中庭へ急いだ。