わたしは勿論戦争体験者ではありませんが、幼少の頃、祖父母と暮らしていたので戦争についての話を、今の若者よりは身近に聞くことができました。
そしてまた、わたしの就学当時は、戦争の悲惨な記録写真、積み上げられた死体とか、広島・長崎の被爆現場の惨状など、目を覆いたくなるような映像を、目にする機会も多かったように思います。
戦争は、罪も無い普通の人々を多く巻き込み、死へと導く。
幼いころからの、直感としてのわたしの戦争理解です。
いや、それは直感とは少し違います。
どんな理屈をつけても変えることのできない真実だと思うのです。
集団的自衛権の行使の容認は戦争を回避する抑止力になる。
国際協力の下、日本もその経済力に見合った貢献をするべきである。
ベトナム戦争でのゲリラ戦は過去のこと。
現在は空爆やミサイル攻撃なのどの遠隔戦が主だから、自ら手を汚して、血を流すような戦争はあり得ない。
だから、後方支援よりちょっと前へ出て、日本も国際紛争解決の一助を担うべきだ。
そういう役割を日本は国際社会に求められている。
いろんな理屈は並べればきりがないのでしょうね。
でも、そのような理屈は、恐らく妄想に過ぎないと思う。
論理的思考に左右される西欧諸国の人々が、日本に平和憲法を犯してまで、集団的自衛権の行使を求めているとは思えない。
寧ろ、彼らこそ、畏敬の念を持って戦争放棄を掲げる憲法を尊重すべきだと考えているんじゃないかな。
戦争とは、敵と対峙した時、常に武器を向けられ殺される状況を作ることに他ならない。
自分と同じように、生まれて生きて、家族を持って、愛し愛されているであろう他人と、戦争、という理由だけで殺しあわなければならない。
どんな崇高な理由付けも、そんな理不尽な行為を正当化することなんて出来ないと思う。
ならば、黙って撃たれるか。
現実に武器を手にして銃口を向けられた時、黙って撃たれる覚悟があるのか?
たいていの人はそんな覚悟を持てぬまま、相手より先に引き金を引いて、自分の身を守ろうとしてしまう。
わたし自身にしてもしかり。
信仰の力も、死の恐怖の前では役にはたたなくなってしまう。
自分や家族を守る為だとしても、自分の手で人の命を殺めることになったら……
きっと後悔すると思う。
後悔してもしきれないと思う。
宗教も倫理も、人間の尊厳全てを否定するのが戦争です。